歴史

スピリチュアルの危険性

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数年前にスピリチュアルというものが流行りました。オーラの泉というようなテレビ番組もありました。

 

そこではスピリチュアルで死んでしまった人などに憑依させて、有名霊能力者があたかもその幽霊が話しているように演技をするのです。

豊満な体系のその霊能力者は、番組に依頼してきただろう家族の家に行き、自分の体に死んだ子の霊体を宿しながら、自分の人格と死んだ子の人格を交互に入れ替えながら堂々と悲しんでいる家族を騙すのです。

 

なぜ騙しているのかがそれで判断できるのでしょうか。

 

それは、人の人格は、1つしか持てないからです。

 

悪霊などに憑依されるということは、実は存在します。ですが、憑依されれば、その人格は1つで固定され人格はコロコロと入れ替わることはありません。

 

みなさんもやってみれば分かると思います。

 

男性なら自分が王様であると考えながら、農民だと考えられるでしょうか。

 

女性なら自分がお姫様であると考えながら、農家の嫁だと同時に考えるのです。同時に違う人格をいれることは、人間の脳ではできないのです。

 

この霊能力者は、嘘をついて、自分に死んだ子の霊が宿っているとみせかけて、悲しんでいる家族を利用している詐欺師だということです。

 

そもそも、スピリチュアルというものは、悪霊との関係を深めるもので、これは聖書でも書かれているように、悪側のものなのです。霊的なものは、人間の想像力と重なり合うと、複雑な世界に入り込んでしまうので、とても危険です。

 

霊的なことがすべて悪いわけではありません。ですが、理性や論理などを捨ててまで入り込むことではありません。今回はスピリチュアルの危険性について書いていきます。

1、悪霊

聖書や神道では、死んだものの魂は、地の下の黄泉という場所で待機されていると考えます。

人間の最初のこどもであるカインは、弟アベルを殺してしまいました。その時、アベルの血を土地が吸って、その魂が地から叫んでいると聖書には書かれています。神道もまた死んだものの魂は地にあるものだと考えるものもあるのです。

霊は人の目にはみえません。あるのか、ないのかを科学的に、現代では証明することはできません。重さもなければ匂いもないのが霊だからです。

 

ですが、霊がなければ、わたしたち人間は、脳にどのようにして電気信号を送っているのかも説明ができません。動物や植物のように単純な生き方ならまだ分かるかもしれませんが、人間ほど複雑に思考を持って行動できる脳の電気信号は、どのように流されるのか今でも解明されていないのです。

 

わたしたち人間は、ただの電気信号だけで動いているわけではありません。

 

例えば、部屋の電気のスイッチを押せば、電気が流れて部屋が明るくなりますが、そのスイッチだけ置いておけば、部屋が明るくなるでしょうか。

部屋を明るくしたければ、人間がいなければ出来ないのです。

 

スイッチを押すという認識があってはじめて部屋は明るくなり、パソコンも電気を流して動くことができるのです。タイマーも人間がセットしなければ、そのように作動しないのです。

 

このように、わたしたちは、的確に脳に電気信号を流しているのは、霊であると思われるのです。でなければ、なぜ毎朝、同じ時間に起きれるのでしょうか。なぜ日本語という共通点で会話ができるのでしょうか。ランダムに意味もなく電気信号が流れるだけであるのなら、家もなければ、車もあるはずがないのです。

 

そのように意味をもってわたしたちは生きて存在しているのです。

 

ですが、霊は良いものだけではなく、悪い霊も存在しているのです。それが悪霊です。

 

霊は霊でも、神から出ている霊ではない存在。悪魔から出ている霊が存在し、昔から人間を誘惑し、あらゆる悪を人間に提供してきたのです。

 

この悪霊との関わりをはじめたのは、カインの子孫のカイン族でした。彼らは、悪の遺伝子を受け継ぎ、悪を大量に発明していきました。科学的な発展をとげたのも、カイン族からはじまりました。音楽や鋳造なども彼らが始祖だと聖書には書かれています。

 

彼らは、天使から悪魔になった堕天使の霊を自分たちの体に憑依させて、その憑依させた状態で、美しかったその時代の人間の女性と関係をもち、ある特殊な種族を生み出しました。それがネリフィムです。

 

巨人の中の巨人。それがネルフィムなのです。このネリフィムの登場で世界は極端に悪の道へと突き進み、それをみられた神様は、とても悲しんで、大洪水ですべてを洗い流したのです。

 

ネルフィムはこれで消え去ったかのように思われたのですが、カイン族の子孫であるハムの嫁からカナンという人物が生まれ、カナンは、カイン族の遺伝子と知識をまた復活させ、今でも悪の教えを世界中に広め、わたしたちを苦しめ続けているのです。

 

悪には悪の共通点があり、世界の悪の思想には、ありとあらゆる類似が存在しています。

 

世界はノアの家族という共通点で1つなので、言葉や国、民族が違っても類似点があるように、悪には悪の類似点が言葉や場所が違っても同じように存在し、その悪のパターンによってわたしたちは、未だに苦しめられているのです。

 

その1つがスピリチュアルなのです。悪霊との関係を持って霊的にも、精神的にも悪へと染めて、この世に悪を生み出していきます。

釈迦は、墓を否定しました。死んだ遺体は、放置して、どのように腐敗するのかをみせるようにと教えるほど、論理的、科学的な目を教えました。ですが、大乗仏教などは学問ではなく、宗教色が蔓延し、釈迦の教えと180度違う教えになってしまっています。

 

スピリチュアル系の詐欺師の霊能力者は、墓や壺などを高く売りつけ詐欺を行います。名前などを売るということさえもして、金儲けをしようとします。階名です。

このようなやりとりは、日本だけのことではなく、カトリックもやっていました。お札を買えば天国にいけるという詐偽を働いたのです。聖書にはそのような教えは1つも書かれていませんでしたが、聖書を利用するカトリックは悪へと大きく変貌していったのです。

 

このように、人は良いものでも悪に変えて詐欺を行い偶像思想を広げようとします。このような偶像思想を教えるスピリチュアルには注意が必要なのですね。

2、脳の錯覚

人の脳は、不可思議なもので、自分が見たいと願うものをあたかも本当にみたように錯覚を引き起こしてしまいます。

例えば、20世紀のアメリカでは、家のベッドで寝ていると突然、窓からものすごい光が差し込み、その光を浴びると、寝ていた体が浮き始め、体が動かせず、そのまま拉致されるといった体験が大量に多発したのです。

 

これらは、宇宙人による拉致だったと本人たちは、本気で信じているのですが、これもまた脳の錯覚なのです。

 

これらの現象が多発したのは、アメリカだけで、世界ではこのようなことは起こりませんでした。なぜ、アメリカ人だけを宇宙人は、拉致したのでしょうか。

実際は、宇宙人などというものはいません。20世紀になると科学小説がアメリカで大流行しました。タコやイカのような宇宙人の小説やテレビ、あらゆる宇宙人系の話がメディアで流されました。人々は、それらの情報を脳に入れることで、宇宙人という架空の存在。偶像思想を脳に埋め込まれることで、宇宙人という存在しないものに興味を抱いてしまったのです。

 

自分がおかしいと認識している人は少ないです。人の脳は、すぐに非現実的なものさえも現実だと認識してしまうほど、不安定なものなので、正しい人間というものは、本当は存在しないのですが、自分は正常だと思いたくなるのです。多くの人は、自分は正常で悪ではないと思い込みたいわけですが、悪がない人間など現代では、かなり少ないのです。

 

わたしもそのうちのひとりです。完全に悪だという人は、ほとんどいませんが、完全に善だという人もいません。

 

そして、脳に入り込んだ情報から見たり感じたりするものが、非現実的なものであっても信じ込んでしまうのです。

 

宇宙人の光の拉致事件は、アメリカで多発しましたが、日本では、同じように、光に包まれて、ベッドの上に浮いたという例が存在しています。ですが、それは、日本では宇宙人ではないのです。この現象は、日本では幽霊になってしまうのです。

 

日本は昔からお化けなどの情報が脳に入り込み、日本人は、歓談話などが好きだったりします。遊園地にもお化け屋敷があるように、日本人の脳には、宇宙人ではなく、幽霊のほうが脳にこびりついているのですね。

 

 

アメリカ人の脳の錯覚と日本人の脳の錯覚の状態で共通しているのは、体の自由がきかなくなること、光がみえること、体が宙に浮かぶことです。

 

このような状態になっている人たちは、宇宙人と幽霊と偶像の対象は違いますが、感じる内容は同じです。

 

なぜこのようなことが起こるのかというと、体のバランスが崩れてしまっている時に、レム睡眠の脳が働いている時に味わってしまうからです。

人は、1時間半ごとにレム睡眠とノンレム睡眠を交互に行って体や脳を休めています。

 

夢をみやすいレム睡眠の時は、脳が起きている状態で活発にイメージ力を発揮しているのです。夢を見ている時に起きると人は、スッキリした状態で起きることができます。脳がすでに起きているから準備出来た状態で起きれるからですね。

 

ですが、体のバランスが崩れている時は、このサイクルがぐちゃぐちゃになってしまい体の状態と脳の活動が、不一致になってしまうのです。

 

生まれつきこのような体質で生まれている人は、よく金縛りなどを体験してしまったり、悪霊などをみてしまいがちになり、それらに苦しめられます。脳の錯覚ですが、本人からすれば、脳がそのようにみせて感じさせているから悩みになってしまうのです。

 

バランスが崩れて、脳が起きている時でも、体は寝ている状態なので、体は動かせません。ですが、脳は半分起きているので、目を覚ましているのですが、見えているのは、非現実的なものなのです。ここで共通しているのは、体が動かせなくなり、いつも感じる体の状態ではなく、夢の中の体のような不一致なので、まるで体が宙に浮いているように錯覚を起こすのです。

 

お化けが好きだったり、宇宙人のような話が好きだったりする人ほど、この体がバランスを崩した時に、不可思議な体験をしてしまいやすいということです。

 

人はみたいものをみるとよく言われます。それは寝ている状態だけではなく、起きている時にも言えることです。

 

アイドルを好きすぎる人なども妄想癖があり、必要以上にアイドルを高くして、心酔してしまうように、このような人は、本人の脳の中で、それらが現実のように思い込んでしまうのです。進化論というものもまさにそれで、学校や学者などが真面目な顔で空想を語ることに興味を持ち、それを信じてしまえば、いくら非現実的なものでも、それを本当だと思いたいと心や精神、脳の錯覚を起こして心酔してしまい、現実が見えなくなってしまうわけです。

 

そして、スピリチュアルは、そのような状態、脳の錯覚を利用して、人々を誘導し、悪側へと導こうとするのです。

 

多くは人の脳の錯覚です。世界の悪魔宗教の共通しているものは、この脳の錯覚による誘導です。

 

オウム真理教は、薬や脳に電気を流して、不思議な体験をさせて人々を騙しました。これらの脳の錯覚を味あわせると、人は、それを教えてくれた人を尊敬して、信じてしまうようになるのです。世界の理や真理を教えてくれた人を一度信頼すると、その中の嘘さえも信じ込んでしまうのです。詐欺の常套手段です。

 

エンジェルマップの内容の多くは、真理や事実を教えるので、信じやすくなるかもしれませんが、このエンジェルマップであっても、すぐに信じてはいけません。本当にそれは事実なのかを再検討し、聖書を読み、世の中を学者のような論理的な目で再確認するべきなのです。

 

聖書は大昔から、このような悪魔宗教の脳の錯覚、偶像思想に気を付けるように、論理的に教え続けてきました。事実をみなさいという教えが聖書の教えです。

 

聖書以外のものには、人の脳が介入しているので、それらは本当に信頼するには至らないものなので、再検討が必要なのです。聖書さえも事実なのかを再検討しながら、誠実に正しいのかをみることも大切です。

 

聖書は恐るべきことに、現実の事実と一致してしまっているのに、固定されているのです。このような書物は人間には書けません。

 

そして、この聖書に反して、悪魔宗教ほど、偶像思想、架空のものを強調して、人を誘導するのです。

 

霊的な世界や不思議な体験といったものを強調しすぎるものは注意が必要です。すべて霊を否定するわけではもちろんありませんが、論理的な思考さえも無視するほど、入り込んではいけません。それがスピリチュアルです。

3、ホーリースピリット

本当に正しい霊というものは、神様であり、聖霊様です。

聖書は、聖霊様の霊が風のようにわたしたちの中に入り込んで、神様の体験をさせてくれることが書かれています。

実際、本当にそのような体験はできます。

 

クリスチャンの多くは、この聖霊様の体験をしていることでその信仰心を保っている方もいるのです。

 

もちろん、本当の聖霊様の体験には、オウムのように薬も必要ありません。脳に電気を流す必要もありません。

 

わたしの場合は、何でもない日常の礼拝でもない時に、聖霊様を体験しました。寝ているわけでもない時に、聖霊様を体験して、目の前の世界が、大自然に変わったのです。

 

いくらイメージしても、目を開けていれば、目の前の部屋はみえてしまうのですが、その時は、すべてみえるはずものもが、消えて、大自然に変わりました。会話をしている途中での出来事なので、脳を錯覚させやすい礼拝の時でさえないのです。

 

このように、実際に正しい霊の存在、聖霊様は存在し、わたしたちに体験と守りを与えてくれるのです。

 

新約聖書は、このホーリースピリット。聖霊様の体験が書かれていて、多くの原始キリスト教徒たちは、聖霊様を体験しました。神様の臨在を体験するのです。

 

ですが、これさえも、悪魔宗教はスピリチュアルという形で、悪魔側へと誘導し悪用するのです。

 

ニューエイジやグノーシスなど、悪魔側へと誘導する思想で、人々を惑わすのです。

 

大乗仏教は、このグノーシス主義が入り込み、釈迦が教えた論理的な思想を破壊しました。インドでは今でも激しい差別があり、女性の権利を無視した考え方もあります。カースト制度は今でも存在しているのです。これらの差別を釈迦が打ち破ったのですが、仏教も弟子たちによってゆがめられ、釈迦の教えとまったくちがう内容ばかりが盛り込まれました。

麻原彰晃は、その悪魔宗教の教えを土台として、人々を騙しました。

 

聖書は、聖霊様のことを教えていますが、それには注意があることが書かれています。異言という違う国の言葉を話しはじめることも確かに存在していますが、これにも注意が書かれています。この異言を口にする時は、大勢の前ではしてはいけないのです。3人ほどの少ない中で、異言は行われ、しかもその異言の解読ができる賜物がいなければいけないと書かれています。そうでなければ、この異言を人は自分たちの脳でみたいものをみるように、利用してしまうからです。

 

聖書は霊を否定はしませんが、それだけにこだわることは教えません。異言もきちんと解読できない言葉なら大勢の前では使うべきではありません。それは悪魔宗教と同じでただの呪文になったり、思い込みの世界に入り込んでしまうだけになるからです。

 

わたしは本当の異言を海外で聞いたことがあります。アフリカ人の黒人の方が、「シュヲカンシャシマス。主を感謝します」と突然礼拝中に、異言を言い出したのです。わたしの隣の人で、それを礼拝後に彼に話したのですが、わたしの英語力がなくて伝わらなかったのか、逆に不可思議な顔をされてしまいました。

 

発音も、日本語のものでした。

 

海外に住んでいるアフリカ系の黒人の方ですから、日本語など知っているはずもありません。主を感謝しますという宗教色の濃い専門的な日本語を普通の日本人は使いません。どうにかして調べてわざわざわたしの隣で使ったという可能性もありますが、わたしは本当の異言だったのではないかと今でも思います。

 

このように、多国語を話し始めてしまうという体験のことを聖書には書かれています。そしてそれは呪文のように意味不明なものではなく、きちんと解読できるものなのです。

 

不思議だと思えることは、実際に存在していて、聖書もそれは否定はしていませんが、不思議なことを強調することもありません。この世界が存在していること自体が、すでに不可能であり、神様の存在を証明しているので、それ以上に不可思議なものを強調する必要などなく、むしろ、そちらを強調すればするほど、悪魔側につけこまれ、入り込まされてしまいます。

 

聖書で禁止されているのに、そのまま教会の礼拝でいつのまにか、行ってしまっているという結果になってしまうのですね。

 

教会でさえもそれですから、スピリチュアルは、さらに多様して、人の脳の錯覚と悪霊による不可思議な行為で人々を惑わしていくのです。

何も知らない人は騙されてしまうのは当然です。

 

さらに普段から不思議な世界を望むような人なら、なおさらスピリチュアルにはまり込んでしまうわけです。

 

宇宙人や幽霊などに入り込み、見たいものをみるようになってしまうのです。

信じるかどうかは分かりませんが、世の中本当に、癒しというものが存在しています。それは悪魔側であっても利用できる場合があるので、不思議な体験を数度したからといって簡単に信じてはいけません。自分がみているものでさえも、疑い自分も疑う必要があるのです。

 

正しい人間はひとりもいません。人間はみな不完全です。完全なのは、この世界を作られた本当の神様だけです。わたしたちは、その神様の体の一部であり細胞の一部のようなもので、他の物質とは違って、良くも悪くも自由意思を与えられている愛された存在なのです。不完全なのに、この世界にはかかせない存在。それが人間なのです。

 

ですから、自分は正しくないと事実を受け入れ、日々正しい方向へと向かうようにしていきたいですね。

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