思考の変化

冤罪事件の真相

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大詐偽時代の現在の世界は、表向きは「人権・権利」などが憲法に載せられ、それらを守るように動いているかのようにみえます。

しかし、多くの機関。警察・司法・教育・マスメディア・医療・紙幣システム・経済・ボランティアなどありとあらゆるシステムが、表向きの目的とは正反対の180度違う悪魔的な目的となってしまっています。

 

アダムの時代から人間は悪を理解して、悪のプラグラムを脳にいれ、現在まで何千年もの時間を経て、複雑に善悪は入り乱れているのです。

80年ほど前の太平洋戦争にはすでに、現代人では理解できないような善悪の逆転の発想で表向きの目的とは全く違った悪魔的な目的によって国や世界は動かされていたのです。

 

アダムの時代は、まったく悪を知らない状態だったので、悪を発明しなければ悪は表面化しませんでした。悪がないだけに、悪のやり口、手法も理解できないのです。

フランス語をまったく知らない人がフランス語を考えることができないように、悪を知らない人は、悪に対して無抵抗な状態なので、すぐに騙され知らないうちに、搾取されてしまうわけです。

 

アダム側の子孫は嘘という概念さえも無かったとしたら、嘘という概念を理解したカイン族の嘘をどうやって見破ることができるというのでしょうか。

 

カイン族は、嘘などの悪を多用して、あらゆる利益をむさぼり、その利益のゆえに、悪を行うことが正義だと信じ込むようになっていくのです。

お金を手に入れれば、嘘をついてでも売りつけようとする営業マンと同じです。利益がその人の正義になるわけです。

 

そして、悪を知らない民族たちはすぐに騙されていきました。

 

紀元前2000年ほどの時代は、善悪は解りやすく分かれていました。

 

ですが、この解りやすい時代をさらに複雑にしたのは、ソロモンでした。ソロモンは、他国との貿易やそれぞれの王や王女たちとの関わりを強めて、支配者たちだけのコミュニティを作り出し、世の中を支配者の都合でまわす発想を生み出していくのです。

 

ここから善悪は複雑化していきます。表向きは善を語りながら、支配者の都合のいいシステムづくりをしていくようになったからです。

 

しかし、善悪がコロコロと回転して、複雑になるということは、悪いことだけではありません。一見、悪だと思えることが、実は未来では、善になってしまうという現象が起こることになるのです。

 

世界的な冤罪の有名な例といえば、すべての人間が1度は耳にしたことがある「イエスキリスト」です。

 

イエスキリストは、罪1つ見出せないほどの人生を送りながら、人間があみだした最大の苦しみを味あわせる十字架刑という罪深い人間にだけ与えられる処刑法で殺されました。

 

誰がどうみても、やりすぎで、冤罪の例の有名な歴史です。

 

処刑を認めたローマ帝国のピラト提督でさえも、イエスキリストを何とか助けようとしたほどでした。ですが、その想いもむなしく、あきらかなやり過ぎる十字架刑は実行されたのです。

 

十字架刑にかけられたイエスキリストのこの出来事は、100人いれば、ほとんど100人が、「悪」だと認識する出来事だったはずです。

 

ですが、2000年後の現在では、どうなっているでしょうか?

 

10億人を超えるひとたちが、その悪の出来事を体験したイエスキリストのことを「救世主」だと信仰し続けているのです。

 

十字架刑の冤罪という悪だとしか思えないことが、すべての人間の悪を打ち消してしまう救いの道へとつながっていたのです。

 

善悪が複雑に絡み合っているからこそ、悪側の人間さえも、予想だにできない未来の結果を生んだのです。

 

なぜ、このようなことが起こりえるのでしょうか。

 

悪魔宗教は、現在、世界を支配し、世界中の紙幣発行権利を王族・貴族に利権を少し与えてはいても、裏では独占し、世界のシステムをコントロールしています。絶大な権力と悪魔的なシステムが構築され、人々はそれを疑うことさえしなくなっているほどです。

 

このような権力者の手にかかれば、すべてがコントロールできているかのように思えますが、実はそうではないのです。

 

善悪が複雑に絡み合っているだけに、絶対的な悪は、いくら悪魔宗教でも行えないのです。悪側の中にも善を行う者たちが存在し、有る時は悪をしても、ある時は善を行われることで、計画は破綻してしまうのです。

 

複雑に物事が絡み合っても、シンプルな法則は変わりません。

 

それは、「神様以外に、未来はみえない」という事実があるからです。

 

神様は、未来をみることが出来るということをイエスキリストによって証明されています。イエスキリストが生まれる前から存在する旧約聖書に300カ所以上にもわたってイエスキリストの生涯が預言され書かれていたのです。

 

原始キリスト教徒は、この旧約聖書に手出しすることは絶対にできません。なぜなら、原始キリスト教徒たちも、冤罪という悪をあびせられ迫害されていたからです。旧約聖書を大切にしていたユダヤ教徒からはもちろん命を狙われました。ユダヤ教徒だけではなく、そのユダヤ教徒を認めていたローマ帝国からも原始キリスト教は命を狙われていたのです。

 

では、この原始キリスト教徒がユダヤ教徒が大切にしている旧約聖書に少しでも手を加えたとしたらどうなるでしょうか。

 

ユダヤ教徒の迫害を正当化してしまうことになるのです。原始キリスト教徒が自分たちの都合のいい内容を旧約聖書に書き足したとしたら、そのことでさらなる攻撃がされ、キリスト教は消え去っていたでしょう。

 

迫害されていたからこそ、キリスト教は正当であり、イエスキリストの預言は、確実であり、証明されているのです。

 

手出しできない固定された聖書の中に、すでにイエスキリストがいるという事実が驚異的なのです。

 

このように、神様は未来をみることができます。例え、人間が悪というプログラムを脳にいれて、複雑怪奇にあらゆる真実と捻じ曲げたとしても、未来では、それが善になってしまうという結果になってしまうことも神様は知っておられるのです。

 

神様は、キーパーソンとなる人物やあらゆる人たちに、関わられます。聖書の中では預言者やダビデ王やソロモンなどですが、その他にも、神様は必要なだけの関わりを持たれるのです。

 

モーセの時代に死んだファラオの息子がツタンカーメンです。

 

赤い鳥居のゆえんとなる話で死んだエジプトの王子です。

 

現代でも、神様は必要な人に必要なだけの助けを表し、導かれているのですね。それはキリスト教徒だけではありません。あらゆる人を神様は守られ、見守られ、それと同時に未来をもみて、その結果を許可されているのです。

 

わたしたち人間は、未来を知ることはできません。そのような未来になるように短期的な計画は立てられても、100年、1000年というスパンでは、悪だと思われていたことが、善へとつながってしまうことになるのです。

 

クリスチャンは昔からあらゆる苦難を味わいました。あらゆる迫害を受けて、カトリックから1200年間で6000万人も殺されたという学者さえもいるほどです。

 

悪魔宗教だけではなく、聖書を信じる者たちさえも手にかけるという暴挙に出たカトリックは崩壊しました。王族・貴族を決定するほどの権力を持ったカトリックでさえも崩壊し、現在では、聖書の教える「人権」が権力者をしばる憲法という形で固定される奇跡へとつながったのです。

 

激しい迫害や人々の死は、悪だとしか思えません。しかし、それから数百年後の未来では、生き残った人々の権利となり存在してしまっているのです。

 

その人権や憲法のありがたみ、聖書のありがたみさえも、知らずに生きている日本人は沢山いるほど平和なのです。

 

自由貿易ができてしまっているのも、聖書のおかげです。

 

連続殺人犯などが行うような文化の正義を信じてきた民族も、今ではほとんど存在していません。

 

3歩進んで2歩下がるのを繰り返すようで、進歩してしないようにみえますが、少しずつ前進しているのです。

 

ですが、2歩戻らせる悪側の行いの1つ冤罪は、いまでもあからさまに存在しています。善だと思われるシステムが実は裏では、悪魔側の目的のために用意されていまでもそれが実行され続けているのです。善悪が複雑に入り乱れているのでそのようなことが出来てしまっているのすね。

 

今回は、この冤罪についてみていきましょう。

1、正しい人間を悪だと決めつける

正しい人間はひとりもいません。しかし、やってもいない罪を被せられ、凶悪犯だとさえいわれて処刑される人や何十年後に釈放されるという出来事が実際に大量に存在しているのです。

 

警察は、犯罪率をなんとか下げようという組織的な目論見があります。数字で仕事をやった気にさせ、「実」ではなく、表面的なものを目的として、日々動かされているのです。

 

事件やもめごとが実際に起こったら、それをおさめにいったり、解決することが警察の仕事のはずですが、警察は、事件が起こったとしても、簡単にそれを事件だと認めようとはしません。それは犯罪率を下げるためです。

 

事件件数が増えれば、犯罪率があがってしまうので、事件が実際に起こってもそれを事件だと認めなければ、犯罪率は下がるわけです。

 

意味不明な話になるわけです。

 

事件やもめごとが起こっているのに、それを警察は解決すればするほど、自分たちの成果を貶めるということで、わざと解決しないという暴挙にでるわけです。

 

警察に助けを求めたのに、警察は何もしてくれず、犯罪が加速して、命を失ったということは沢山存在しているのです。

 

その理由は、犯罪率をあげたくないというわけのわからない話だというわけです。

 

テレビ番組の視聴率をあげるために、世の中によくない情報を流すようなマスメディアのようで、目的が、本質からずれてしまっているわけです。

 

人々の生活を平和に安全に治安良くすることが、警察の目的のはずですが、数字をさげることが目的と化してしまっていて、それを正当な理由として、意味不明な決断に追いやってしまう警察組織のシステムが存在しているのです。

 

それだけではありません。警察は、あきらかに連続殺人犯だと分かっている者たちさえも、野放しにしているケースが後をたたないのです。

オウム真理教は、あらゆる人々が警告をして、恐ろしいことを繰り返していたにもかかわらず、野放しにされていました。オウムも恐ろしいですが、それを分かっていてわざと野放しにする決定を下している警察組織の幹部は、さらに恐ろしいと思わざるおえません。

 

あさま山荘事件という過激派共産党員が、恐ろしい事件を起こしました。若い仲間を次々と手にかけ、裏切るものは、仲間から命を奪うという事件の結果、あさま山荘が起こったのですが、それすら警察は、何も対処しなかったのです。

 

悪質なストーカーに命を狙われ、日々、あらゆる嫌がらせをされた優しい女性がいたのですが、あらゆる証拠がありながらも、彼女を守ることを警察はしませんでした。その結果、彼女はそのストーカーに後ろからさされて亡くなったのです。

 

角田美代子という恐ろしい脳を汚染させる女性の事件がありました。彼女に狙われた家族は、彼女に脅され、家族同士で命を奪いあうまで発展させられたのです。悪質なマインドコントロールでその平和だった家族に悲劇をもたらしたのですが、その事件も家族が警察に助けを求めたのですが、警察と角田美代子とのつながりがったことで、家族は落胆して、自分の家族に手をかける選択枠しか残されていなかったのです。

 

信じられないことで、想像だにできませんが、実際の事件です。その真相を知っている角田美代子も口封じのために、刑務所内で首をしめられ命を失いました。

 

警察システムは、本当の犯罪者をわざと野放しにして、どうでもいい交通違反などで一般人からお金を奪うという仕事ばかりを続けてしまっているということです。

 

アンフェアというドラマがありますが、まさにそれが実際に行われているのですね。

 

警察官がなぜか犯罪を起こしたという話になっていたりしますが、はたして真相はどうなのでしょうか。警察組織の矛盾に立ち向かった正義感ある人に冤罪を被せていることさえあるでしょう。

 

この日本は、表向きは法治国家ですが、韓国以上に、法が崩れています。表向きは正しいようにみえても、裏で行われていることは、悪側のシステムにそった仕事なのです。

 

これは警察組織だけではありません。あらゆる機関がこのように表向きの正義に隠れて、悪を実行してしまっているのです。

 

このような権力者や権力に立ち向かう勇気があるのは、神を信じる者たちです。神を信じない人たちは、私利私欲や自分の正義を信じているだけなので、かなり正義感が強い人、思い込みが激しい人じゃなければ逆らおうとはしませんが、神を信じている人たちは、悪を行うことにたいして、胸を痛めるので、悪を行えないのです。

 

絶大な権力を持ったカトリックに命をかけて挑んだように、世界を変えてきたひとたちは、目先の私利私欲を目的とはしないので、命さえもかけてきたのです。

 

現在は、どれだけ権力にさからったとしても、その人が悪をしなければ、命は奪われることはありません。仕事を失ったり地位や名誉を失う程度です。ですから昔の時代と比べれば、本当は恐れるほどでもないのですが、豊になっているので、恐れて逆らえないと思い込まされているだけなのです。

 

これも脳の錯覚の1つです。

 

特に日本人は、良くも悪くも、まわりの目を気にする性質があるので、海外の人々のように大胆な行動にでることが出来ません。

 

なるべく最小限の被害で、少しずつ改善していくというのが、日本人にあったやり方なのかもしれませんが、この大詐偽時代の組織が正しいと思っては危険だと考えましょう。

 

何もしていないのに、連続殺人犯だと冤罪をかけられる可能性もあるからです。

 

DNA鑑定や指紋などの証拠があると考えても、それらも警察組織などが管理している以上、不利に働く可能性の方が多いのです。冤罪の証拠を作り出すことなど、調べる側がやろうと思えば簡単にできるのです。

 

このような組織システムは、太平洋戦争で日本が負けた時から警察組織が作られるその時から計画的にわざと作られていたという警察関係者もいるのです。

 

警察組織が作られる時から、すでに表向きの善を利用して、悪の目的のために組織システムが計画されていたというのです。

 

その後から入ったひとたちは、それを知るわけもないですから逆らえる人は少ないわけです。家族もいて、ずっと警察組織で生きてきたひとたちが、逆らう行動を取れるのは、難しいでしょう。

 

これらの組織システムを構築しようとしているものは、悪魔宗教の狡猾な脳の錯覚を利用した者たちが関わっているので、頭から悪になるように計画されているわけです。

 

悪魔はイエスキリストに近づきあらゆる誘惑をしました。それと同じように、お金や生活あらゆる誘惑を利用して、正しい人たちをコントロールするシステムを構築しているわけです。

 

現代でこそ、こういった悪魔宗教の存在を指摘しても、それほど弾圧されることはありませんが、数十年前まで、正しいことを指摘する人ほど、精神病にいれられ、薬を飲まされ、酷い目にあわされていたのです。

 

これもまた冤罪です。

 

ひ素カレー事件の犯人とされる女性は、今でも自分が犯人ではないと言い続けています。

 

彼女が本当に犯人なのかは、疑わしいものです。

 

このような冤罪にまきこまれないために、日々、メモを残したり、パソコンなどで記録を残すことをお勧めします。彼らもバカではないので、論理的に説明したり、メモをきちんと取っているような人間には手出ししようとはしません。パソコンは、時間や日付が知らないうちに記録されているので、それがまた証拠になります。文章は、ひとりひとり、指紋のように癖があるので、長い文章を書く人ほど、証拠となります。

 

筆跡ならもちろん、証拠になります。

 

すべての機関を牛耳っていたカトリックという巨大な権力の時代であっても、論理的な発言を裁判でするひとたちの声によってカトリック支配は崩壊していきました。難癖をいっていた当時のカトリックに対して、プロテスタントは合理的に発言をしていたからです。

 

それを目にした人々は、裁判の結果はどうであれ、その内容に感化され、正義を見出していきました。それは今でも同じです。

 

ひ素カレーの女性は、あまり論理的に物事を語ることができない人のようですが、もし、論理的に語れるのなら、そこから道は開ける糸口が見いだせます。論理的に語れなくても誠実に語ることが人々の心をうちます。

 

冤罪を無理やり作り出せば、それに対して、疑問を持つひとたちが数倍に膨れ上がり、少しずつ巨悪の根に斧を振るように向かっていきます。

それは、今までの歴史でもそうだからです。

 

昔は、王族や貴族、政治家という分かりやすい巨悪でしたが、今はそれらを操り人形のようにコントロールしているのが、起業家であり、権力者とは離れているかのような存在で、財閥などです。これらには憲法が適応されません。わざと適応されないようにされていて、未だに憲法は完成へと至ってはいないのです。

 

悪魔宗教は、紙幣発行権利を持っているだけに経済によって政治家などをコントロールできるわけですから、これらにも憲法を当てはめる必要があるのです。

 

そうすれば、ブラック企業などというものは、存在しえなくなります。

 

裁判官の業務認定も裏でコントロールされています。裁判官は、すでにその裁判の判定を命令されていて、それに従わない裁判官は、おとしめられるので、逆らえないのです。司法の組織スステムもはじめから悪側として用意されているのですね。

 

冤罪など作りたい放題だということです。もちろん、弁護士もそうです。正義感のある弁護士ほど、追い込まれてしまうわけです。

 

これらのシステムを維持できているのも、すべて紙幣発行権利を悪魔宗教が握っているからです。これさえ国や国民に権利が戻れば、彼らはシステムを維持することが出来なくなります。

 

これに手をつけようとしたJ・Fケネディやリンカーンは、命を奪われました。中東の国々、イラクなどに戦争したのも、イラクの紙幣発行権利を奪うためでした。石油利権よりも紙幣発行権利を奪いたかったのです。

 

日本は明治から奪われてしまっています。

 

お金という紙切れの偶像システムが正義という思想が、一般人の脳にも植え付けられているように、これを手に入れているのが個人であることが問題なのです。

 

黒も白となり、白も黒にするという冤罪さえも、作り上げることができてしまうのですね。

 

 

ものごとには、表と裏があり、良いことも悪に利用できますし、悪いことも善に利用できてしまうのです。

 

人権保護法案という在日の方達の迫害を禁止するという法案が、この日本で可決しそうになりました。在日のひとたちの人権を守るためだということです。

一見、これは悪くないじゃないか?と思うかもしれませんが、もの凄く問題なのです。

 

普通の日本人は、海外の人たちを差別などしません。しかし、差別していると逆にレッテルを貼られ、人権保護法案のために、冤罪とされるかもしれなかったのです。

 

みなさんが、ただ在日の方をみただけで、睨まれたといわれて、冤罪にかけられ、多額の賠償金を請求されたらどうでしょうか。

 

これは実際に日本で起こったことです。スパイ容疑をかけられて、日本政府からあらゆる拷問を受けた無実のひとたちがいたのです。

 

恐ろしいことに、スパイ容疑を調べる人間がスパイだったのです。まさか調べる人がスパイだとは疑われないわけです。

 

このように、物事は、良い事のように一見みえても、実のところは、悪を実行するための方便として使われていうことが多々あるということです。

 

児童相談所は、こどもを守るところだと思うかもしれませんが、その逆で、幸せな家族を崩壊させるためにあり、親が子を叱っているのを虐待として冤罪にし、親から子を奪うのです。親が子を叱るのは、いたって普通のことですが、それを虐待とする恐ろしいもので、さらに恐ろしいのは、本当にこどもを虐待している家族ほど、わざと放置するのです。

 

そのわざと放置して、本当の虐待を野放しにしている数が多いのが、名古屋だと言われています。

 

幸せな家族から引き離された子が、ただ叱られただけだと親をかばうと、薬を飲まされ、親に洗脳されていると診断して、施設にいれてしまうのです。

 

詐欺師や悪人が詐欺をしているなんて、普通のことですが、この大詐偽時代は、まるで正しい人、聖人や天使のようにみえるひとたちが、堂々と詐欺をしているのです。正しい人が悪人にされ、悪者が野放しにされるというとんでもないことが、今でも行われているのですね。

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