歴史

世界が誕生して今は何年なのか

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わたしたち人間は、自覚という能力を持っています。自分の身長は何cmなのかと他人と見比べて、自分のいる位置を把握することができるからです。人間以外の生き物は、この自覚が存在しません。他のライオンと見比べようとするライオンなどいないのです。

 

わたしたち人間だけが、自分という存在を認識して、自分とは一体なんなのだろうかと考えることができるとても面白い生き物なのですね。

 

さまざまな情報を脳にいれることで、自分という存在を作り上げていくわけですから、いつまでたっても本当の自分というものは固定されるわけもないのですが、それでも自分を知るために、固定された情報を持つことは大切です。

私たち人間は、神様であるイエス様と同じ形、同じ存在として似せて造られました。

 

人間は、三位一体に造られているのです。

 

体という自分だけでは、人間は生きてはいけません。地球や宇宙、世界が存在して、人間は生きていけるのです。世界と体だけでも生きてはいけません。体を動かすことができる霊の存在があってはじめて、脳に電気信号を的確に動かすことができるのです。偶然、脳に電気信号がランダムに流れているわけではないのです。

 

世界・体・霊の3つで1つで形成されているのです。

 

そして、その体を形成できて、この記事を読めている現実は、わたしたちには、親がいるという事実があるという証拠です。すべての人間は親がいてはじめて存在しえるからです。

 

自分を知ることは情報の量であるのなら、過去おこった固定された事実、親を遡ることも1つの固定された情報だということです。

 

世界を知ることも自分を知るひとつの情報であり、その世界は何年に造られたのかを知ることも自分を知る1つの情報だということです。

ですから人は、何かを知ろうとする探求心が存在し、真理や真実を知りたいと願い続けてきたのです。

 

ソロモンは、この世界は、「空の空」だと教えました。すべてのものは空であるというのです。その教えを釈迦は弟子たちに教えました。

 

人間やあらゆる世界は空のようなものであって、唯一の空ではない存在、それが「全知全能の神」だけだと教えたのです。

 

神様から世界はすべて造られ、わたしたち人間という物凄く高性能な存在も的確に作られ、維持できる世界も絶妙に存続させられている偉大な存在だけが、「実」であるというわけです。その存在から創造されて作られたのが、この世界であり人間であり、霊なのです。

 

神を知ることこそが、本当のわたしたちを知ることになるというわけです。

 

ですが、人間には、想像力という能力もあり、非現実的な思想も信じ込んでしまうことができてしまうほど、不完全な存在です。

 

その人間の勝手な想像で、宇宙は137億年前に誕生したということを信じる人がいますが、これには何の根拠もない数字だと知っていたでしょうか。

 

恐竜は1億年前にいたということも根拠は何もありません。何万年という数字も根拠はありません。

 

聖書は恐るべき書物で、現在だから理解し解ること、固定された事実に基づいて解ることと聖書は一致してしまっているのです。何千年も前から固定されている聖書という書物は、現在の科学や学問と一致してしまっているということは、これはもはや人間の能力を超えてしまっているものだという証拠なのです。

 

その聖書には、家系図というものがアダムからつらなりかかれていて、それぞれの寿命が書かれ、それぞれこどもが生まれた年数さえも書かれて的確に、世界が作られた数字が示されているのです。

 

それらの数字を組み合わせると世界が誕生してから今までの年数は約6500年という数字になります。

 

それまでに生き物は「進化」などはしておらず、環境に沿って、日焼けすれば、環境によって若干の適応力はもっていても基本となる体を形成している固定された設計図どおり続いているのです。

 

1度、海にいって日焼けした人は、ずっと黒いままだと考える人はいません。肌の色はもともと持っている肌の色に戻っていくのです。マラソンで体を鍛えれば、それだけ筋肉がつくのは当たり前だということです。

 

人間は人間として造られ、アダムから数えて6500年経ったのが、今現在だということですね。

1、137憶年の嘘

数年前まで、宇宙が誕生してから135憶年だと言われていました。今は137億年となっています。2億年もの誤差は何なのでしょうか?

 

あなたの身長が、急に10分の1も伸びたら、驚くはずです。170cmだった身長が、朝起きたら187cmになっていたら驚きですね。

 

2億年という誤差は、誤差ではありません。

 

これからも分かるように、適当に数字をいっているだけにすぎません。

 

医療で使われている麻酔は、なぜ麻痺効果が起こるのか、今でも解明されていません。麻酔は、解明されて使われているのではなく、使えば麻痺するから使っているだけで、この量の麻酔を使えば、この程度の効果が出ると信じているだけなのです。

 

このように、専門家が使っているからそれは解明されているだろうと人は勝手にフォローして、解釈してしまうわけです。

 

よく137億年だという数字を挙げる人がいますが、その根拠を1度でも聞いたことがあるでしょうか。

 

そこには何の根拠もないのです。

 

専門家がいうからそこには根拠があると思わせる詐欺手法は、大昔からあらゆる宗教、あらゆる政治手法の常套手段で使われて来ました。

 

バラモンが語る「呪文」は複雑怪奇で、理解できなく難しいが、バラモンという認められたものが語るからそこには根拠があると思い込んで信じ込まれていたのですが、何の根拠もありませんでした。

 

下の人間を騙す時に有効なのは、「少ない情報だけしか与えない」ということと「複雑に難しい言葉を使う」ということです。

 

世界では、下の人間たちに文字の読み書きを禁止させていました。文字の読み書きが出来てしまうと本などで情報を与えてしまい、難しい言葉などで相手を言いくるめることが出来なくなるからです。

 

江戸幕府も海外の書籍を読むことは禁止していました。

 

吉田松陰は、それでも禁止された書籍を読んで、人々にその内容を広げて、明治維新の種を蒔いたのです。

 

1185年、鎌倉幕府成立などと数字をあげると、その数字には根拠あると思い込んでしまいます。

少し前まで、1192年金倉幕府成立だったのです。

 

数字や難しい言葉を並べている人間や芸術家、政治家、評論家は、偽物です。呪文をいって人を誤魔化そうとしているだけで、その内容は、大したことはありません。

 

こどもにも分かるようなシンプルな内容は、人々が理解できてしまいます。

 

人々が理解できてしまうのに、現実と一致しているのなら、それは「事実」であり、深い真理なのです。シンプルで単純なものこそ、実は深く誤魔化すことさえも出来ないものだということです。

 

政治家たちが、難しい言葉のやり取りをしているのも、下の人間たちに、理解させず、しっかりと仕事をしているかのように思わせる誤魔化しなのですね。

 

 

「悪の葉に斧をむける人間は多いが、悪の根に斧を向ける人間は少ない」という言葉があります。仕事をしていても、どうでもいいことばかりに目を向ける人と、的確にやらなければいけないものに目を向ける人がいて、どうでもいい事ばかりに目を向ける人は、人の目をよく気にします。

 

ブルーハーツというバンドの歌詞に、「どうにもできないことなんて、どうにでもなっていいこと」という言葉がありますが、他人の気持ちは、固定できるものではなく、すぐにコロコロうつりゆくものなのですから、そのようなものに目を止めても一生苦しむだけです。

 

 

このように、「実」や「本質」を観る能力を伸ばしていけば、現代社会のほとんどは、思い込みであるということに気づけて、それを必死で追い求めても、苦しむだけです。

 

むしろ、アフリカや文明が低いところで笑顔で生きているひとたち、家族や仲間と意味あることで今日を生きている人たちのほうが、意味のある生き方で納得して日々生きているわけです。

 

ソロモンは、愛する者とともに食事をすること以上に素晴らしいことはないと教えました。あらゆる栄華を極め、あらゆる知識やあらゆる体験をしたソロモンでしたが、人間の幸せとは、愛する者との時間のその瞬間だというわけです。

 

もちろん、その愛を与えた神様が実であり、その家族さえも空であるが、人間としては、それが素晴らしく満ち足りることだということです。

 

 

数式や数字は素晴らしいものですが、その中には、詐欺も大量にあるということを理解しましょう。そして、大詐偽時代の現在は、表で評価されているものほど、詐欺ばかりだということです。

 

進化論という空想の詐欺宗教を認めようとしない学者は、貶められ評価されないというわけのわからない社会になってしまっているようにです。

 

解らないことは、解らない。解ることは解るというものが、学問であり、科学ですが、解らないものにまで無理やり数字を当てはめようとするのは、詐欺でしかないのです。

 

137億年という数字は、ビックバン起源説という宗教から来ています。今でこそビックバンなどないことは、まともな学者なら理解できますが、少し前まで、本気でビックバンを信じ込まれていました。

 

ビックバンという発想はただの空想にしかすぎません。ダイナマイトを爆発したら、固定されていたものを破壊はしても、何かを生み出したりはしないのは、こどもでも分かることです。

 

ハップル宇宙望遠鏡によって、最古の銀河系を観測し、その長さから137億年や135億年だという数字を出して来たというのです。

 

これもシンプルに否定され、論議を呼びました。宇宙の果てが観測できたとしよう。では、この地球は、その膨大な広さの宇宙の「中心」に存在するということなのか?と指摘されたのです。

 

意味わかるでしょうか?ハップル宇宙望遠鏡は、地球のまわりをまわる巨大な望遠鏡です。地球の自転や公転によって膨大な距離を観測したとしても、東西南北すべての方角が、137億だというのでしょうか。

 

というのなら、地球は、偶然その宇宙のど真ん中に存在していることになります。

 

この地球は、銀河系の端にある太陽のまわりをまわっています。銀河系の中心ではなく、端をまわっているのです。その位置は、絶妙で、もし、少しでも銀河系の中側であったら、銀河の星々や隕石によって地球は、この環境を維持できないのです。

 

地球が奇跡の星といわれる由縁です。

 

あらゆる奇跡的で絶妙なバランスによってわたしたちは、存在しえているのですね。

 

とはいえ、銀河系の中心にあるわけではありません。ですが、137億などと言う人は、宇宙の中心に地球があるというわけです。

 

自分たちの存在を中心にして考えた天動説を語っていたひとたちとそれほど変わらない発想で、適当なことを言い過ぎたわけですね。詐欺だったのです。

 

この地球には、恐竜の化石が存在しています。

 

その化石があるということは、恐竜という生き物が今よりも前に存在したことは、間違いありません。

 

ですが、今よりも前に存在したことは間違いなくても、「いつ」なのかを測定することなどできないのです。

 

あなたが小学校の頃、夏休みの工作で作った恐竜の粘土を学校の土の中に埋めたとしましょう。100年後、それを発見したとして、あなたの存在もしらずに、その恐竜の粘土が、いつ作られたのか測定できる方法などないのです。

 

放射性炭素年代測定は、あっても、あなたの親がタバコを家で吸っていたらそれだけで、数百年の誤差がでてしまいます。焚火の煙が恐竜の粘土にかかるだけで、変わるのです。

 

そこその目安になるだけであって、しっかりした年代など土に埋もれたものからは、測定できないのです。

 

ノアの大洪水の前と後の世界は、地球環境がまったく違います。恐竜という生き物が現在生きることができないようにです。恐竜はあの巨大な体の割に、肺が小さすぎて、その肺にいれるための鼻の気孔も小さすぎるのです。現在、恐竜がいても、空気の圧力がひくすいて、おぼれて死んでしまうというわけです。

 

もちろん、巨大な恐竜がいた時代は、巨大な植物もありましたが、今は存在しません。すべてが小さくなってしまっているのです。人間も小さくなっていますが、あらゆる生き物は小さくなってしまっているのです。

 

進化論学者たちは、巨人の化石を隠し続けて、見てみないふりをしています。

 

発展しなければ、進化論の説が成り立たなくなるからです。

 

進化の定義を曖昧にして、言葉遊びで誤魔化してはいても、微生物から進化していったとはっきりと言っている以上、発展しなければなりたたないのです。

 

ですが、現実は発展どころか、退化しているのであって、環境によって生き物は、左右されているだけで、その設計図は、昔も今もかわらず固定され、足は2本で目は2つのままなのですね。

 

無理やり進化論を正当化するために、土の中から発見されたものに数字や年代を付けて詐欺で人々を騙しているだけで、何億年も前だというのは、ただの仮説でしかないのです。

 

Aさんは、Bさんと結婚して、Cちゃんを22歳で生みました。という数字は、残すことはできます。時間が経つにつれてその数字は曖昧になりますが、聖書は、その人の営みの長さを表記しているので、世界が誕生して6500年ほど前だと考えるのです。

 

これは1つの目安でしかありませんが、進化論よりは昔から固定され伝承され続けてきたものだけに、適当ではありません。進化論は、ドラえもんのような人の空想です。突然降って湧いた仮説でしかないのです。

 

しかし、聖書は、何千年も語り継がれてきたもので、1つの目安でしかなくても、進化論よりは意味が乗せれるというわけです。

 

わたしは、この世界は6500年前に誕生したと信じていますが、今はまだ、目安の位置でしかないとしか言えないと考えます。ですが、ノアの大洪水は、今から4300年前に起こったことは、自然に残された証拠によって特定することはできます。

 

そこからも分かるように、6500年前に世界が誕生したというのは、聖書の数字と一致してしまっているということです。

 

地層から年代は測定できないのは、今では常識です。少し前まで、地層から年代が分かるという詐偽が学校でも教えられていましたが、それは学問ではないと否定され少し前進しました。

 

地層学は進化論にあわせて、適当な数字を挙げていただけだったのです。

 

ですが、木の年輪は、世界の年代のヒントにはなるのです。世界の最古の木の年代は、4000年ほどです。それ以上の年輪は存在しません。日本の神社の木は、6500年などと書かれていても、その木の太さは、細すぎます。あれが何千年もの木の年輪なわけがありません。4000年の年輪の木はの太さは本当に大きいく太いのです。

 

日本にある古い木は、数百年程度のものばかりですが、世界には、人間の手つかずの木が存在し、その木の年輪を調べると4000年になるのです。

 

まさに聖書の家系図の年数と一致した数字なのですね。

 

ナイアガラの滝は、今でも土を一定の速度で削り続けています。それを逆算しても約4000年。サハラ砂漠の浸食の速度も約4000年なのです。

 

聖書には、ノアの大洪水前まで、この地球は、氷、または水で地球規模に囲まれていました。学者で地球は氷に囲まれていたと言う人もいます。

 

現在、地球に空気が固定されて存在し続けているのも、その時の氷の層があったためだというのです。

 

その環境は、ビニールハウスのようになって、温暖で、空気も今よりも3・4倍と濃度が濃く、雨も降らない状態で、南極北極にも氷がなく、素晴らしい環境が広がっていたということです。

 

ですから砂漠もなければ、食料も豊富にあり、95%の草食動物であった恐竜も生きていけ、数多くの化石が発見されているのです。

 

大洪水があた4000年前とその後では、世界の環境はまったく違っていたのですね。

 

どうして創世記の人たちは長寿なのか>>

 

進化論などが科学的で、創造論は科学的ではないというのは、傲慢の何者でもなく、どちらも宗教であり、信仰しているような状態であるということなのです。

 

創造論は、そこに神の法律、律法があるだけに、進化論のような詐欺的行為が減少するだけに学問的にならざるおえないというところです。

もちろん、聖書や宗教を私利私欲で利用する人もいますが、まったく基準がないよりも減少するということですね。

2、なぜ段階を経なければいけないのか

テレビは、日本人が発明しました。それまでテレビというものは、存在せず、突然のように世に現れたのです。

飛行機も発明されるまで、空にあったわけではありません。1度成功した飛行機は、突如として現代のように増え広がっていったのです。

 

人間が設計し、計画的に作っていったものは、突然、目の前に現れるのであって、段階的に現れるのではありません。

 

野球のバットは、工場で加工され、突然生み出されていきます。金属バットはまさにそうでしょう。

 

 

赤ちゃんは、お母さんの体に突然、生み出されはじめます。胎児は、とっても小さいのです。次々と細胞分裂を起こして、設計図通りの体へと急激に大きくなっていきます。

 

赤ちゃんとして生まれたら、その20年後には、大人になり、まったく体積が違います。

 

この急激な変化をまのあたりにしながら、進化論は、長い年月を経て、今のような人間になると言い続けているのです。

 

ですが、わたしたちは、20年で、小さなものが、大きく変化するものを何度も目にしてそれが事実だと知っています。

 

 

神がいないという「偶然」という発想で考えるので、非現実的な思想にはまってしまうのです。

 

 

テレビは、人間が意味を持って作り上げて突然、世に生み出されました。パソコンも車もそうです。

 

人間は、高性能なパソコンやロボットのようなもので、全知全能の神といわれる存在が、あらゆる法則の上にわたしたち人間を作り上げたのです。

 

人間は、人間という種類に従って作られたと聖書に書かれ、その他の動物や植物も、その種類に従った形、設計図によって造られたと聖書には書かれています。

 

100人いれば、ほとんど100人が、手が2つです。これを否定する人は少ないでしょう。

 

 

もし、神様という設計図を固定されるような存在がいないのなら、なぜ人間は手が2つばかりなのでしょうか?

 

ある人は、手が4つ、6つとバラバラで、人間の形もバラバラのはずです。

 

ですが、現実は、世界中の人間の形は同じで、動物たちもその種類に従った形で生まれ育つのです。

 

 

こどもに問題を出したとしましょう。

 

1、ひまわりの種を植えました。では、どんな花が咲くでしょう?

 

こどもたちの多くは、「ひまわり!」と答えるでしょう。

 

こどもにも分かる世界の法則であり、現実なのです。もし、世界が偶然なら、なぜこのような法則が固定されて存在しているのでしょうか。

 

空気はなぜ固定されて存在しえるのでしょうか。

 

 

神がいないと言う人は、「自分は存在していない」と言っているようなものなのです。

 

神様は、土からアダムを作られ、そのアダムの骨からエバを造られました。

 

神様であるイエス様の形に似せて、アダムは作られ、そのアダムの助け手として、エバを用意され、ふたりは1つで、新しい生命を生み出していくのです。

 

 

神がいないという人は、面白いことを言っている人だということですね。

 

あらゆる存在する法則でまもられ生きて存在し、それら法則を利用して、今も言葉を語りながら、それらは存在せず、偶然だというのです。

 

 

目の前に突然、コップが現れるよりも、不可思議なことを語っているのですね。

わたしたちという人間がいて、あらゆる物を作り、それらを利用して生きているのなら、それこそが、神様の存在の証明なのです。

 

 

わざわざ、微生物から進化する必要性などありません。人間は人間として造られ、その人間という種類に従って、増え広がっているのです。

 

 

哺乳類のメスは、赤ちゃんが生まれると突然、胸から母乳が出るようになります。それまでは筋肉や血液、脂肪だったものが、急激に母乳になるのです。

 

突然、AからBへと変わってしまうのです。

 

何億年もかけてAからBへと変わるというのは、それらしく感じるかもしれませんが、人間は人間として生まれたのであって、それ以上でもそれ以下でもないということです。

 

何億年からすれば、人間が成長する20年という時間は、一瞬です。ですが、何倍もの体積に一瞬で変わるのが現実なのです。

 

猿はいます。人間もいます。では、猿人を観た人はいるでしょうか。

 

誰もみたことがありません。猿人とはドラえもんと同じで、一部の人間の空想なのです。実際には存在しないUMA未確認生物なのです。ナマケモノという生き物がいるのに、滅んだというのもおかしな話です。

 

コアラなども生きて存在し、その種類に従って存在し続けているのです。

 

お猿さんと人間は、まったく違うのです。

 

進化論の正体>>

 

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