歴史

クリスマスツリーの由来

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クリスマスの日には、クリスマスツリーが飾られますが、以外と教会では、クリスマスツリーは飾られることはありません。ノンクリスチャンほど、クリスマスツリーを飾っているのではないでしょうか。

 

それは日本だけではなく、世界でも同じで、クリスチャンの家では、クリスマスツリーは飾られることはあっても、教会に飾るということは、あまりみたことがありません。

 

クリスマスツリーは、なぜ大きな星を取り付け、多くの飾り物をして、光らせるのでしょうか。

 

クリスマスツリーの理由と由来についてみていきましょう。

1、キリスト教的な解釈

あくまでキリスト教的なクリスマスツリーの理由であって、聖書的なものではありません。そして、日本の教会は、クリスマスツリーを飾らないだけに、教えられていないことでしょう。

 

12月25日がなぜか、イエスキリストの誕生日とされているクリスマスですが、イエス様が誕生した時に、現れたのが、3人の東の博士たちでした。彼らは予言を研究し、この世の救い主が生まれるその日をあらかじめ知っていたのです。

 

世界の謎を解明する救い主が生まれるという予言は、大昔から世界各地で広がっていました。処女が救い主を生むというものも、聖書だけではなく、世界中に広がった予言だったのです。そのため、世界中に女神崇拝が存在し、その内容は歪められていました。忌み嫌うものとさえ聖書には書かれているほどの女神もあるほどです。

 

それは決して、ヨーロッパや中東、エジプトだけのことではありませんでした。インド地域や中国にも、そういった予言は、広がり、日本にも存在していました。

 

釈迦や孔子は、それぞれの宗教を回復させる存在が、西の地に現れると発言したことも、一部広がっています。

 

仏教や儒教の由来となる聖書を完成させる存在として、世界中の宗教や問題の解決をもたらすとして、イエスキリストが生まれたのです。

 

そのイエスキリストを3人の東の博士が訪れるのですが、彼らは日本からやってきたのではないかという人もいます。

 

その博士たちが、イエス様が生まれる時期をどのように推測したのかが、聖書には書かれています。それは、大きな星でした。

 

その星を目印にして、イエスキリストを探しまわりました。ダビデの血統から生まれるという預言が聖書には書かれていたことで、博士たちは、その時代の王に会いにいったのですが、その時代の王は、ダビデの血統から外れたものが、王となっていたのです。イエスキリストの場所を教えてもらうどころか、王は、イエスキリストの命を狙うようになっていきます。

 

その後、どのようにイエス様の場所を特定したのか解りませんが、ダビデの家系をまわりつづけ、ダビデの子孫で、生まれそうな人を探し出し、馬小屋へと辿りついたのかもしれません。

 

この聖書の話に出てくる大きな星をクリスマスツリーの天辺に飾っているということですね。

 

海外のクリスチャンの家では、クリスマスツリーの下に、プレゼントを置いておきます。靴下にプレゼントをいれるのは、サンタクロースですが、海外のプレゼントの渡し方は、クリスマスツリーの下に置いて、朝にこどもたちが飛び起きて、確かめにいくわけです。

 

プレゼントをみて、喜ぶのですね。

 

イエスキリストは、神様からの世界へのプレゼントでした。わたしたちが、苦しむのは、人に悪が入り込み、原罪を持っているからです。

良い事をしても、その悪のために、悪いことだと認識する人もいれば、その逆もあるように、人に悪があるからこそ、苦しみや悲しみが世界に存在しています。

 

それらを回復するために、イエスキリストは生まれ、そして十字架刑にかかり、わたしたちに救いの道というプレゼントを用意されたのです。

 

イエスキリストが十字架刑にかかってから、世界は、常に変わり続け、今では憲法という基準さえも手に入れることが出来るようになりました。すべてがいきなり変わるというものではありませんでしたが、イエス様の十字架刑のプレゼント、福音が世界中に延べ伝えられるに従って、世界には、善を固定することができるようになったのです。

 

ストーカーがいい例ですが、人には、愛や正義はありません。例え悪であっても、それを愛だとか、正義だと錯覚できてしまうのが、人間です。ですから、人間中心の民主主義など存在しません。神の基の民主主義、神の基の善、神の基の愛や正義があって、はじめて悪を悪だとして、裁けるようになり、その固定された、愛や正義で、平安な生活を手に入れることができるようになったのです。

 

イエス様の十字架刑がなければ、今頃わたしたち日本人は、中国や朝鮮人たちの食料にされていたかもしれません。明治維新も起こりませんし、人権も確率せず、これほどの自由を獲ることは出来なかったでしょう。

 

日本でも、さまざな愛や正義があり、地位あるものに切り捨てられても、何も言えないという時代もあったのです。

 

女性は、いまでいうDVの夫に何も言えず、寺に逃げて行くというものさえも多くありました。女性の権利もなかったのです。

 

現代人は、どれほどの自由と平和を手に入れているのか、これからも分かりますね。

 

これらを回復したきっかけは、イエスキリストだったのですね。

 

多くの幸せ、プレゼントをもたらしたことで、木に多くの飾りをつけて、その上には、プレゼントのありかを示す大きな星があり、そのクリスマスツリーの下に、こどもたちへのプレゼントを置いておくというわけです。

 

日本は、このやり方よりも、サンタクロースのやり方のほうが主流なので、クリスマスがごちゃごちゃな状態で行われます。今では、クリスマスツリーを家に飾る人は、いないのではないでしょうか。

2、悪のクリスマスツリー

このクリスマスツリーは、もとを辿れば、キリスト教から出ているものではありません。

実は、悪魔宗教から出ているものなのです。

 

そもそも、12月25日は、イエス様の誕生日ではありません。それらも同じ悪魔宗教から出ているものです。

 

白人は、聖書を書いた民族ではありません。聖書を預言者を通して書いたのは、イスラエル人です。そして、そのイスラエル人を白人は、弾圧し、本物のイスラエル人は、世界中に散らばって、どこにいったのか分からなくなっているのです。

 

ナチスなどの弾圧にあったユダヤ人は、本物のユダヤ人ではありません。白人ですね。

ユダヤ教を信仰したユダヤ人というだけで、血統的には、ユダヤ人ではないアシュケナージユダヤ人なのです。

 

 

本当のユダヤ人とは、東洋人で、わたしたち日本人が一番、イスラエル人の血が濃く本当のユダヤ人なのです。ユダヤ教を神道という形で残して、聖書の文化をいまでも引き継ぎ続けているのです。

 

このような皮肉な歴史のため、白人は、聖書こそ残りましたが、聖書の文化を失いました。ですから、キリスト教を信じてはいても、行っている行事は、以前から信仰していた多神教的なものばかりで、キリスト教をマネしたミトラ教などに影響され、クリスマスやクリスマスツリーが使われ、サンタクロースのようなものまで、産んでいったのです。

 

現地宗教のケルト系では、自然崇拝が行われていました。このような宗教を中国では、鬼道と呼ばれ、忌み嫌われるものでした。卑弥呼たちのような神道系のものも、鬼道のような宗教だと魏志倭人伝に書かれていますが、「のようだ」ということは、鬼道ではないということです。

 

唯一の神様を拝むのであって、自然はその神様の体であり、一部であると考え、信仰するのが、本来の神道であり、物部氏の信仰した神道です。

 

偶像思想を否定し、聖書を基準にした愛や正義を固定するもので、ユダ族の血筋である天皇家を守る思想でした。

 

伊勢系神道などは、一神教的な神道で、多神教的な神道とは、昔からおりあいが良くありませんでした。

 

これもまた、聖書に書かれている通りです。

 

多神教的な神道であっても、聖書的な平和な基準があるのが、日本の宗教ですが、世界の宗教はそうではありません。悪魔的な思想、悪魔的な愛や正義を教えて、信じられないことを行い続けていたのです。

 

冬至の時期になると、あらゆる生き物の死骸を木に飾りはじめます。もちろん、人間も例外ではありません。

 

日本の自然崇拝とは、違います。自然の解釈を悪魔的にして、教えているので、それこそ弱肉強食のような思想もあるのです。日本の神道は、共生・共和のような教えなのにたいして、残酷な権力をふるう一方的な教えさえも世界の多神教は行っていたのです。

 

世界の多神教は、あらゆる存在しない生き物を想像して、作り出してきました。

 

木と人間を融合させて、妖精にしたり、馬と人間を組み合わせて、ケンタウロスにしたり、あらゆる化け物、怪物を想像して、恐怖や不安によって人をコントロールしようとしてきたのです。

 

まさに、進化論です。猿と人間を融合させた存在しない猿人がいると思い込ませるのですが、現実は、どこにもそのような生き物はいないのです。すべての人間は人間の姿で存在しているだけで、その途中の人間など、世界中探してもいないのが、現実なのです。

 

そして、何よりも、神様の基準を崩壊させることです。神様は、常にわたしたちを守り続けています。1秒たりともわたしたちを守らないことはありません。

 

あらゆる規則正しい法則を保持してくださっているから、わたしたち人間は、生きていられるという奇跡を毎日、毎秒体験しているのです。

 

宇宙をみてください。死で満ちています。100個の星を適当に選んでも、地球のような生命で満ちた星は、ないのです。

 

確率的にも、それがすぐに現実だということがわかりますね。地球を含めて100個のうち1つしかない時点で、宇宙には、死が満ちているのに、地球は、あまりにも多種多様な生き物が大量に存在しすぎているのです。

 

1つの生物だけがいるだけでも奇跡なのに、あらゆる生き物が存在し、あまつさえ、人間という知的生物も存在しているのです。これを偶然だというほうが、どうかしているのです。非現実的な思想なのですね。

 

神を無くして、自然的なものへとシフトして、悪魔的な行いへと誘導してきたのが、世界の多神教なのです。

 

日本の神道を基準にして、多神教と一神教をみてはいけません。

 

連続殺人犯が行っていることを正義として、行ってきたのです。彼らがやっていることは、サイコパスという病気的なことではないということです。そのように教えられれば、人は、そのように振る舞い、それらが正義となってしまう恐ろしい存在なので、一神教でその価値観を固定させなければ、成り立たなかったのです。

 

日本のように海という壁があれば、思想を固定させることも可能でしたが、大陸には国境もなく、壁もなかったのです。

 

秦の始皇帝は、万里の長城を打ち立てたひとりですが、中国では、余分な情報を入り込ませないため、中国を守るために、高い壁を築こうとしたのは、秦の始皇帝以外の王も多数いたのです。

 

それほど大陸は過酷さを秘めていて、力強くいきなければ、生きていけなかったということなのですね。

 

民族を滅ぼしたりすることが残酷だと現代人は、現代人の価値観と環境で考えますが、当時の時代の価値観や常識からすれば、それらが正しいことだったことも多くあったのです。

 

日本では、そのような悪魔的な思想の民族は、奴隷にすらせずに、絶滅させました。少しだけ奴隷のような生口というものがいましたが、そういった生口でさえ、大陸に売り飛ばしたと言われています。

 

人権を理解している人たちを奴隷にすることは、よくありません。すでに人権を理解しているからです。ですが、人権を否定する民族を奴隷にして、人権を教え込もうとした奴隷制度は、その時代では正しかったのです。日本は、絶滅させましたが、白人は、優しく奴隷制度の対処をしてきた歴史があるので、殺さないという選択ができたというわけです。

 

人権を理解した奴隷たちは、解放するように聖書には書かれています。「人を殺してはならない」という価値観を固定された人は、解放されるのです。

 

現代では、平和や人権は、当たり前でしたが、憲法を手に入れるまで、人権は、夢ものがたりでした。

 

権力者や支配者が、自分を縛り付ける法律を容認するなど、考えられなかったので、そのような思想をいうひとは、バカにされた時代が長く続いてきたのです。

 

ですが、現代では、その人権は、世界中に広がり、それは当たり前となっているのです。

 

できないと思われていたことが、極当然のように受け入れられているのも、イエスキリストが十字架刑にかかられたおかげなのですね。

 

しかし、そのイエス様を信じるキリスト教の中にも、悪魔宗教のスパイは入り込み、キリスト教を内部から破壊していきました。正義感の強いカトリック信者も戦ったのですが、多くの権力を持つカトリックたちは、悪へと流されていったので、現地宗教の文化を取り入れた行事を行うようになったのです。

 

 

 

3、ノアの教え

では、すべて聖書的ではない行事が、クリスマスであり、クリスマスツリーなのか?というとそうではありません。

 

例えば、ケルト系のおぞましい木の行事も、元を辿れば、アダムとエバの善悪の木になります。神様が、人間のために、与えられたエデンという天国でしたが、その天国を放棄するかのように人間は、善悪の木に手を伸ばしてしまったのです。

 

悪魔宗教は、とても聖書と酷似している場合が多いです。

 

なぜこのようになるのでしょうか。

 

それは、悪魔宗教は、真理や事実の情報を盗むと、それらの善の情報をまるで汚すかのように、悪へと歪曲させていく手法があるからです。

 

カナンの教えの「盗みを愛せよ」です。

 

物を盗むことではなく、あらゆるアイディアや情報を盗んで、それらを自分たちが作り出したものだとして、歪曲させ、広げ利益や利権を獲ようとする考え方です。

 

そして、神様を冒涜するように、悪を世界中に広げていくのです。

 

そのため、悪魔宗教は、善のものと酷似してしまうのですね。

 

世界は、カイン族によって一度滅ぼされました。その悪をみていたノアは、再度、神様を基準にした愛や正義を子孫に教えたのですが、カナンという孫は、悪魔宗教の道へと進み、悪を復活させてしまいます。

 

ノアでも、カナンでもないニムロデが、世界を支配し、ご都合主義で世界の王となったのですが、世界中に悪魔宗教は広がっていってしまいました。

 

ノアの教えを汚すかのように、動物の生贄も、人間の生贄へと変えたり、蛇の模様のようなタトゥをする文化を伸したりと問題の種を今でも広げているのです。

 

世界には、さまざまな宗教や思想がありますが、共通点があることに気づく人がいます。それらは、人がもともと1つの家族から出ていることを証明しています。例え悪魔宗教であっても、なぜ共通点があるのか、それはノアの教えが根底にあり、アダムとエバに神様ご自身が、脳にプログラムされたからなのです。

 

ですから、クリスマスツリーもすべてが悪いとういわけではないということです。

 

ですが、キリスト教徒は、聖書を読んでいるので、物には固執しません。それらは偶像思想につながる懸念を抱いているからです。クリスマスツリーもそのため、教会では用意されないことが多いのかもしれませんね。

 

今のところ、わたしは、教会でクリスマスツリーをみたことはありません。海外の教会でもクリスマスツリーを飾っているのはみたことがありません。

 

もちろん、飾っている教会もあるとは思いますが、あまり教会では飾られることはないということですね。

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