思考の変化

世界の負の連鎖

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世界には負の連鎖が広がっています。

 

それは人の思い込みの中に多く潜み、当たり前だと思っている常識から連鎖は止まることなく続いていくのです。

この連鎖は、止めることが出来るのですが、その連鎖の真っただ中にいる時代のひとたちからは、大きすぎて止めることができないとあきらめてしまうものです。

 

まず、わたしたち人間には、大きく分けて2種類の人間がいます。

 

支配・コントロールする人間と支配され、コントロールされる人間です。

 

どちらも悪いわけでもなく、正しいというわけでもないのですが、支配者も人間ですので、恐怖から下の人間を自分たちの都合のいいように、コントロールしようとするのです。

 

支配すること、コントロールすることは、決して悪いことではありません。親が子をコントロールするように、常識を植え込んでいきます。それは自然の流れであり、神様が人間に与えた営みでもあるからです。

 

神様は、人間に、世界の生き物を支配せよと創世記でおっしゃられています。

 

そして、その言葉は、現実に成就しています。世界のどこにいっても人間がその土地を支配して、増え広がっているのです。こんなことが出来るのは、人間以外の生き物では出来ません。

 

ですが、この支配することは、正しくても、それを悪の原則を裏付けにして、支配したとしたら、その環境のために、負の連鎖が広がるのです。

1、環境に影響される

人間だけではなく、世界中の生き物は、環境に影響されます。植物も水を与えなければ、水を与えないことへの影響が出て、子は親やまわりの環境に刺激されて、成長していくものです。

こどもは、嫌でも日本語を使うようになるのは、まわりの環境に影響されるからです。

そして、それは悪いことにも利用できてしまいます。

例え、正しくない常識であっても、その悪の常識が世の中で容認されていれば、それが悪いものだとは気づかずに見過ごしてしまいがちになるのです。

 

こどもは、大人の思考や考え方についていくことが難しいです。はじめから社会の常識を理解するこどもなどいないのです。

日本の常識とフランスの常識が違うように、その違いによってカルチャーショックを受けますが、わたしたちが普段から思っている当たり前は、良くも悪くも、利用されている場合があり、それもまた偶像かもしれないのです。

 

わたしは、海外に生活したことがあるのですが、日本の常識とはあきらかに違いました。日本人は、良くも悪くもロボットのようにみな同じ人間が大量生産されるかのように育てられて、横一列に並ぶのですが、海外は違いが当たり前で、ひとりひとり価値観がバラバラで様々なキャラクターに満ちていました。

 

海という国境に守られていた日本と過酷な環境で生きるしかなかった大陸の違いかもしれません。

 

どちらが正しいのかというと、今のところ日本のほうが正しいと言わざる負えません。わたしが日本人であるからというのもありますが、若干、日本人のこのような支配の仕方は、正しいと言えるでしょう。

 

日本は経済大国として、世界3位だと言われていますが、実際は、世界一位です。実経済で世界に貢献している国は、日本とドイツがダントツで世界の先を言っています。

 

それだけではありません。日本は明らかに犯罪の数が少ないのです。

 

まわりの目を気にする日本人は、自分が悪側だとみられる目を恐れて、海外とは違い大きく大胆に動くことができません。ですが、それが犯罪を予防しています。古くから日本は神様を基準にした善の価値観の文化が伝えられ、道徳心がとても進んでいます。ひとりひとりの心の中に、道徳がしっかりと入り込んでいるので、わまりのひとたちとは違う行動をとると心が痛くなり、それが恐怖の対象となって、心を軽くしようと動き続けるので、経済も発展するのです。

 

戦争は、ある時期からまるでロボットのようにゆっくりと隊列を組んで、ゆっくりと軍と軍がぶつかるというものに変わっていきました。

映画などをみると、感情的にぶつかっていくのが戦争のように思えるかもしれませんが、そうではなく、むしろ勝ち切ろうとするのなら、ロボットのように、単純な動きを全体で徹底させて行うのです。

 

これには物凄い効果があるのです。

 

ひとりのひとの力を自由にして、動いたとしても、10人の人が同じ方向に武器と力を流せば、とてもじゃありませんが、一人では太刀打ちできません。

 

ですから、数百数千数万という単位で、動けるように、行進などで練習して、全体で戦争を戦うことをしはじめたのですね。

 

塵も積もれば山となるという言葉を効率よく戦争にも利用してきたということです。

 

これが自然と徹底されていたのが、日本とドイツでした。文化的に生真面目で、まわりの空気を読み、規律に従順する日本とドイツは、最強でした。

その真逆が中国や小中華の朝鮮でした。表向きは規律や法に従うフリをしながら、裏では平気で法を破るという常識が広がっていた中国では、戦争が極端に弱いのです。

 

人数的には、圧倒的に中国などが優っているのですが、ひとりひとりが、命を捨ててまで国や支配者のために動くことなどしないので、すぐに危険だと思えば逃げてしまうのです。愛国心の欠片もないのです。強い者になびいて新しい次の支配者の法や規律を表向きは守っているかのように従順に振舞うのです。

 

もちろん、今の中国は、かなり聖書的な価値観が広がっているので、80年前とは違うのですが、中国などはそういった国だったのです。

 

毛沢東軍も蒋介石軍もどちらも、略奪強奪をして、軍を大きくしていました。日本のように守るとか義に沿って統治するというものでは無かったのです。

 

海外では、犯罪が日本に比べて多いのです。あまりにも多いので、それが正義だと信じ込む人間も生まれ育つほどです。その点、日本の価値観はしっかりしていて、悪側の思想を毛嫌いできる性質がひとりひとりに宿っているのです。

 

ひとりひとりがやっている仕事は小さなものかもしれません。ネジ1つを作る仕事を永遠と続けているかもしれませんが、その小さなものが、山となった時の効果は絶大で、日本製品の品質は高すぎるのです。ドイツも高いのです。

 

ですが、悪い常識を無視して、世界を破壊してしまうのも、日本が圧倒的に多いこともあります。例えば、薬です。

薬は良いものだという先入観を打破できずに、医者などを信じ込んで服用し、毒物だとは知らずに飲み続け、それを生産している人たちに、お金を渡して、さらに新しい毒物を生み出されるという負の連鎖が続くのです。

 

日本の医療費の高さは半端なものではありません。

 

これらに海外では、ノーと言える人が多くても、日本では、ノーと言える人は少ないのです。

 

周りの目を気にするあまり違和感を口にすることが出来ないわけです。

 

連鎖というものは、悪いものではありません。連鎖を悪が利用するから悪くなるのです。宗教も悪いものではありません。悪が宗教を利用するから悪くなるのです。

 

これらを見分ける能力が大詐偽時代の現代では、求められていることでしょう。国や常識を信じ込んでいれば、とんでもないことに巻き込まれる可能性が高くなるからですね。救急でもないのに、病院にいってしまうなど、自殺行為です。いいカモにされ、健康だったのに、不自由な体にさせられてしまうのです。

 

釈迦は、常識を打ち破りました。バラモンという貴族の常識を学問で打ち破り、宗教を悪で利用していたバラモンの手法を論破していったのです。

偶像思想をことごとく見抜いたのが、釈迦という人物だったのですね。

 

イエス様も若干そのようなところがありましたが、すべてを否定するのではなく、ユダヤ教徒として生涯を送りました。温和で認めるところは認め、ひとびとに自然の流れを教え続けました。もし、ことごとく偶像思想を打ち破っていたら、十字架刑の前に、まわりの人間に殺されていたかもしれません。

 

 

2、人間による支配が負の連鎖を生む

支配する側が、一方的に悪いとわたしたち奴隷側は思いがちになってしまいますが、冷静に考えればそうではありません。

親と子との関係をみればわかるように、子からすれば一方的に、親を悪だと決めつけることであっても、親からすれば、子のために叱りもすれば、躾をするのです。

 

支配者側ももちろん、その葛藤の中で常に生きているわけです。歴史をみれば、支配者側は、下のものたちからの圧制で、滅ぼされています。

2012年のアラブの春という民主主義的な思想が、急激に広められました。すると、独裁政治をしていたものたちが、捕まえられ、その独裁者を捕まえて、暴行に及んだあげく、処刑してしまったのです。

 

しかし、その独裁者は、悪い者ではありませんでした。彼はあきらかに国民のための政治を行い、皆が幸せになれるように、あらゆる恩恵を国民に分け与えていたのです。

 

民主主義という聴こえのいい言葉やデマなどの情報から暴徒化して、国を守り続けた国体を崩壊させてしまったのです。

 

善なる独裁者によって1つの方針で、国民に平和だったものが、複数の多国籍企業の支配者たちの都合のいい解釈が、広がり、国民は、あらゆる多様化した正義を持ちだされ、以前のような国の恩恵を受けることが出来なくなったのです。

 

日本は、世界一の経済大国ですが、その日本は国民になんの恩恵を与えるわけでもなく、それどころか国民のお金で作った高速道路でさえ、未だにお金を奪っているのです。

 

当時、民主党という政党が、高速道路無料化を目指しましたが、それが本来は本当なのです。

 

結婚をすれば、家や車を国からもらえ、企業優位の価値観は規制され、限られた時間を国民は仕事できるようにして、家族を優先にするという社会が、民主主義という言葉で破壊されたのです。

 

日本は、信じられないほど経済が発展しています。アメリカを支えているのは日本で、日本がアメリカを見捨てれば、アメリカは一瞬で崩壊してしまいます。

 

橋本元総理が、テレビで、アメリカの国債を一部、返してもらうと一言発言しただけで、アメリカの株価は暴落しました。

 

日本がそのような動きを見せると、アメリカは日本を物凄い勢いで攻撃してきます。3・11がまさにそれでした。

 

日本人は、実はひとりひとりが億万長者だというほどの利益があるのです。ですが、それを日本政府が搾取して、その搾取されたお金の大半をアメリカに奪われているのです。アメリカはその日本のお金で何とかやりくりして、誤魔化して経済大国のような顔をしているのですが、実経済はほとんどないので、仕事もなければ、格差も日本とは比べられないほど広がっているのです。

 

日本やドイツに比べれば、ほとんど経済をなしていない国であっても、善の独裁者がいれば、国民に手厚い恩恵を与えることができるのに、経済大国の日本は、まったく恩恵が与えられないというのは、あきらかに矛盾しているのです。

 

これらは負の連鎖によるもので、悪側の支配者の都合のいい世の中になっていることが原因なのですね。

 

 

支配することは悪いことではありません。ですが、悪が支配を悪の価値観で利用するから悪いことになるのです。

 

フランス革命は、悲劇を沢山生み出しました。多くの王族貴族、カトリックなどを虐殺してしていきました。裁判さえも開きませんでした。

 

ですが、日本の維新は、徳川側を一方的に悪だとはしませんでした。明治時代になっても徳川側の人間を政治家としてまねきいれもしました。徳川幕府としては、世界の悪魔宗教の価値観を日本にいれることを懸念したのです。

 

実際、明治維新からお金は、紙切れにされ、海外勢力に支配されていきました。その末期が太平洋戦争です。

昭和の前期は、あらゆる策略と謀略がうずまきあって、複雑にされていました。その頃から、人間の錯覚を利用した複雑な支配は続けられていたのです。

何の情報も入ってこないわたしたち奴隷側の人間がそれに気づけるはずもなく、太平洋戦争は進められ、わざと日本人が負けるような作戦ばかりを続け、敗戦へと向かいました。

 

戦争は、兵隊に攻撃はしても、一般人には攻撃してはいけないのに、アメリカは次々と一般人を狙う空襲を続け、日本はそれを止めようともしなかったのです。

 

東京大空襲では、街のまわりを爆撃して、人々が、都心の中へ中へと逃げるように誘導したところ、一斉に集まった一般人めがけて、空襲を行ったのです。虐殺です。

 

昭和天皇は、独裁政治はできませんでした。憲法に基づいて、政治家たちが造る決定事項を許可する象徴としての立場しかなかったのです。ですから、昭和天皇は、正しい判断ができる政治家たちを集め、悪の連鎖を止めることのできる内閣を作り上げたのですが、その政治家たちも226事件で突然政殺されていったのです。それらを実行した将校たちは、天皇のためだといって、その事件を起こしたのですが、彼らが掴まされていた情報が罠だったのです。天皇のためといって、天皇が一番信頼していた政治家たちを自分たちが手にかけたのです。殺される前、「話せば解かる」と言われても問答無用で手にかけていったのです。これもまた脳の錯覚を利用した罠だったのです。

 

天皇主導の悪の連鎖を断ち切る内閣は、崩壊して、逆にアメリカと手を組んだ、藤原家の筆頭である近衛文麿が総理大臣となり、太平洋戦争への道をわざと進んで行き、東条英機にすべて擦り付けて、自分は死んだかのようにしたのです。本当に自害したのかは疑わしいところです。

 

 

聖書には、イエス様に悪魔が近づき、あらゆる誘惑をしかけます。多くの人間がこのイエス様と同じような誘惑をされていることでしょう。家族のため、国のため、など多くの大義名分がありにせよ。悪と手を結んで利益を得ようとしてしまうわけです。

 

その利益のために不自由になるのですが、目先の利益に目がくらみますし、まわりの人間の目をみれば、日本人なら流れに逆らう人は少ないのです。

 

正しいと思われたいという想いを悪側は利用するのです。

 

悪側の人間は、ヒューマニズムであり、人間中心主義者のような考え方が多いです。

 

人間を基準にすれば、善悪など無くなります。愛もなければ、正義もなく、その時の都合によってコントロール支配しようとするわけです。下の人間たちを自分たちの都合のいい解釈のレールに乗せて動かせるように、社会をシステム化するわけです。

 

自分本位、人間中心であれば、他人を信じられるわけがありません。ですから、あらゆる規制を設けるのです。

これは、人間の政治の歴史をみれば、世界中で行われてきたことで、あらゆるその時代の支配者たちが、自分たちの都合のいいように、規制をかけて人々をコントロールしていきたのです。

 

文字の読み書きもわざと出来ないようにするのは、本を読めなければ人は、新しい考え方や情報を脳にいれることができず、支配者の都合のいい情報だけを脳にいれるので、その人間は、支配者の枠から出る発想が極端にできなくなるからです。

 

サーカスの象がステージから出ないのも、小さい頃からそのようにステージには出られないと思い込ませるように育てているからです。

 

カトリックは、聖書を規制しました。聖職者だけしか読めないようにして、聖書には書かれていない都合のいい常識を乱用していたのです。今でもその傾向はありますが、今では一般人も聖書を読むようになって好き勝手なことは出来なくなっています。

 

江戸幕府も、海外の情報を規制しました。のちにこれを鎖国と呼ばれるようになります。

 

徳川幕府の都合のいい解釈によってあらゆる人間を断罪していったわけですが、それが裏目に出て、明治維新へと突き進みます。

 

もちろん、規制が悪いわけではありません。聖書にも律法という法律があるので、それらが規制であり、偶像思想を規制しようとします。ですが、神様の場合は、人間に選ぶ自由を与えているのです。

 

人間主導の支配は、下の者に選ぶ権利さえ与えず弾圧します。社会の平和や維持を乱すものは、悪として断罪していくのです。

 

人間主導の支配は、もの凄く狭いということです。ですが、神様が与えているこの世界は、ほとんど無限のエネルギーで満ちています。人間が幸せになれないような作りにはなっていません。人間が自ら不幸せだと信じ込むことは出来ても、事実は、幸せな環境だから生きていられるのです。

 

死人に口なしと言いますが、生きているから不平不満を考えることができるのです。

 

人間は、確かに素晴らしい生き物ですが、反面、とても恐ろしい生き物です。思い込みによって動物や植物では到底できるはずもない悲劇を生み出すことも可能なのです。

 

優れた能力を神様から与えられているだけに、恐ろしい存在が人間だということです。

 

動物をみれば、善悪の認識がなく、神様が与えられたプログラムにそって平和に生きています。肉食動物だとしても、その生活の多くは平和でのんびりしたものです。1週間に1回食事をするぐらいなのです。

 

ヘタに文化や知識があるだけに、人間は納得せずに、脳の錯覚を起こしてしまうのですね。

 

わたしたち現代人は、昔の殿様や王様や情報よりもあきらかに、多くの物を持っています。アントワネットよりも多くの種類の多くのお菓子を自由に食べ、王様よりも多くの映画や劇をみて楽しめ、それでいて、王様や情報のような責任も押し付けられることなく、車やスマホを持って多くの情報を享受できているのです。

 

なのに、まだ不平不満をいうわけですから、これはもう、何を与えても文句を言う人は文句をいう異常者だということになるわけです。

 

現代人は、見方によってはほとんどの人が、幸せな環境です。人間は、聖書のおかげで、あらゆる負の連鎖を克服し、「人権」を手に入れるにまで至りました。支配者を束縛する憲法さえ手に入れたのです。次は、その支配者を上でコントロールしている多国籍企業も憲法でしばれるようにするだけです。

 

悪いようにみえても、じわじわと平和へと向かっています。

 

よく、キリスト教は戦争を大量に起こして来たと言う人がいますが、そのキリスト教がない前はどうだったのでしょうか。

 

キリスト教という1つの固定された価値観が世界に広がるまで、基準はあってないようなものでした。大きな戦争こそなくても、あらゆる悪の正義が衝突をし、あらゆる犯罪があり、悲劇は続いて、不の連鎖を止めることはできなかったのです。ローマ帝国も散々その負の連鎖を止めるような政治ができるようにチャレンジしていましたが、安定せず、戦争続きで疲弊していたのです。

 

そこにキリスト教の思想があり、多神教ではなく、一神教にすることで、世界に1つの共通した価値観を広げることで、劇的に戦争や犯罪を減らしたのです。

 

悪であっても正しいと思い込んでいたものに、それは悪だというのを教えることで、反乱や戦争、犯罪を減らしたのですね。

 

その効果は絶大だったので、あらゆる支配者、領主や王族貴族が次々とキリスト教になり、キリスト教は、負の連鎖をたちきった平和の象徴として、1500年以上も政治の上に君臨したのです。

 

ですから、王族であっても、カトリックには逆らえなかったのです。キリスト教から異端だとされた王様は、平和を維持できなくなるからです。

 

その平和が富を生み、腐敗へと陥り、また負の連鎖を生み出したので、またそれを覆したのが、聖書でした。

 

一般人も聖書が配られるようになるとカトリックが聖書を利用していたことがあかるみになり、政治から宗教は切り離されるように世界の流れは、変わっていき、カトリックの閉鎖された不自由から自由を掲げた悪魔宗教が世界を裏で支配しはじめ、現在に至るので、自由なようで、隠れてシステムは、悪魔化され、それが正義だと現代人は疑うこともできないで、従っているのです。

 

とはいえ、権力者の一方的な支配からは離脱しているだけ、現代人は、幸せなのですね。好きな人と結婚をすることも可能になり、様々な国にも旅行しては、パスポートがあれば、入国させてもらえるほどにもなったのです。3歩進んで2歩下がるというジワジワとした進み方ですが、少しずつ進歩していっているのですね。

 

現代の支配者である悪魔宗教は、もちろん自分たちの都合のいい情報だけをわたしたちに流しているわけですが、それらが偶像であるということを理解するのも、時間の問題です。

 

みながこれらが偶像だと理解するようになれば、支配者が独占していた富が一般に流れるようになり、食料不足という嘘も解消され、いっきに文化が解放されていくことでしょう。

 

負の連鎖を断ち切るには、まずは情報です。情報を脳にいれて、多種多様な考え方を理解するようになれば、支配者の都合のいい情報なのかを精査できるようになるからです。そして、世界の基礎である聖書を読むことです。聖書こそが世界を変え続け、世界中にあらゆる負の連鎖をたちきってきた偉大な書物だからです。

 

このような本は、人間には書けません。聖書は、全知全能の神が、人間というペンを使って人間の送ったプレゼントなのです。すべてのひとが、エデンの天国のように平和で幸せになる環境を手に入れるための唯一のレールなのですね。

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