思考の変化

宗教は悪いものなのか

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宗教は悪いものだと考える人が少なからず現代ではいます。

ニュースに出てくる宗教の多くは、問題を起こしたような内容ばかりで、宗教にいいイメージがないからかもしれません。

 

また、宗教に関わらなくても生きていけるという錯覚を感じて、不必要なものだと思ってしまうのかもしれません。

宗教は悪いものなのでしょうか。

1、宗教を信じていない人はいない

わたしは無宗教だ。無神論だと考えて、宗教を信じていないと思い込む人がいますが、無宗教や無神論そのものが、そういう宗教です。無神論とは、サタニズムのことで、サタニズムとは神や悪魔などはいないと信じる宗教であり、考え方なのです。

 

神が存在しないという非現実的な思想を信じ込ませる宗教が、無神論なのですね。

りんごが目の前にあったとします。そのりんごがあることを認めるのが、宗教であったら、りんごが目の前にあるのに、そのりんごはないと思い込みなさいというのが、サタニズムであり、無神論という宗教なのです。目の前にりんごがあっても、それを無視して、頑なに「無い」「0だ」と思わせる暗示のような宗教なのですね。

現実をみれば、神がいないなどと言える人は普通はいません。この世界や自分自身の存在が神の存在を証明しているからです。

全知全能の神が存在する確実な証拠>>

 

どの神様が本当の神様なのかは、分からなくても、神様という存在は現実を認めれば否定できるわけもないのです。

 

無宗教だと考えている人であっても、何かを信じています。日本という国であったり、政党であったり、家族や友達だったり、何かの思想を信じて日々行動しているのです。

信じているものの形が変わっているだけで、それぞれが何か宗教を信じているのです。

無宗教の中には、特定の宗教に固執していないだけで、神の存在を否定しているわけではないと考える人もいます。そういう人は、寛容さを持って生きていたりしますが、完全に宗教を否定して、神の存在も否定する人は、かなり危険な思想の持ち主です。

 

神の存在はないと心から信じているわけですから、愛や正義を固定することは出来ないからです。自分は意味のないものだと心から信じている人が、他人を愛したり、正義を示す頻度が希薄になるのは、当然のことで、さらにそれを進めていけば、犯罪者の思考になり、悪の行動も正義であるという思想に入り込んでいくのです。

宗教も信じなければ神の存在さえも信じないと言う人は、犯罪者の一歩手前の思想だということです。

 

日本人は、日本の文化を信じて、温和であったり道徳的だったりします。それもまた宗教のひとつです。神道や仏教の教えから道徳が固定され先祖からの教えを文化の中で伝え続けているので、自然と道徳的になるのです。

 

ですが、その日本の文化さえも無視したひとたちが、現代では出てきているのが問題なのです。

それが問題だとさえ考えることができないほどで、自分自身が神になり、自分が基準となろうとして、犯罪者思考に入っていくわけです。

 

日本の文化や祖父母たちの優しさなどを受けいれている人などは、温和で犯罪とは別のところで愛や正義を知らないうちに固定して、道徳的に行動しようとしているわけですが、それすらもないとなると危険だということですね。

 

この世界は、信じられないほど秩序だって自然の法則が存在しています。固定された法則で満ちているのです。だからこそ、車が大量生産でき、家も建てることができ、あらゆる恩恵を受けて生きていられるのです。これが偶然存在するというトンデモ論を本当に信じれるでしょうか。

 

これが偶然だというほうが、奇跡です。

 

ですが、人には、愛や正義がないので、たとえ嘘の情報であっても、小さい頃からそうだと信じ込まされれば、その嘘や宗教を人は信じてしまうのです。

悪であっても、それが正しいことだと錯覚さえさせてしまえるのが、人間なのです。

 

無神論とは、その虚報を信じ込む宗教なので、危険だということですね。

 

2、悪い宗教の存在

現代人が勘違いしているのは、宗教は宗教という枠の1つだと思い込んでいるところです。

科学と宗教は別だと考えたり、政治や宗教は分けることができると思い込んだりしていますが、宗教とは本来そういうものではありません。この世界そのものであり、存在そのもののことで、宗教という言葉でくくれるものではないのです。

 

神の存在は否定できないのは、当然だとしているだけで、科学や政治、教育など、ありとあらゆる減少や枠を覆うものなのです。

ですから、神を信じる科学者たちが、多くの発明や発見をして、現代人の発展へとつながっているのです。

 

科学などと切り離せるものではないのです。

 

そして、その宗教という枠に無理やり切り離して、宗教というジャンルを悪用する者たちがいます。

特に新興宗教などがそうです。

 

宗教は生きていく上で切り離すことができないものであり、愛や正義を固定して、犯罪を否定するためにも必要なものなのです。そうでなければ、人は愛や正義を固定することなどできないのです。

 

ですから、宗教は決して悪いものではありません。

 

しかし、どれだけ良いものも、悪人が悪として利用すれば悪いものにかわってしまうのですね。

 

 

わたしたちは、地球の重力があるために、歩くことや走ること、地面に立つことができています。その重力がなければ、ふわふわと宙に浮いてしまって、歩くこともできなくなるのです。重力は悪いものではないのですね。

 

ですが、その重力を利用して、崖から他人を突き落とすということも出来てしまいます。悪人が悪のために利用すれば、どれだけいいものも悪いものとして利用できてしまうのです。

 

ですが、それはその悪として利用した人が悪いのであって、重力が悪いわけではないのですね。

 

宗教も同じで、悪い人間が悪として宗教を利用するから悪い結果を生み、宗教が悪いものだと思うかもしれませんが、宗教自体が悪いわけではないのです。

 

食品擬装や耐震偽装をする悪徳会社がありますが、だからといって会社というものが悪いものではありません。会社という枠を利用して、悪をするその人が悪いのです。

 

包丁は料理に使えば便利で良いものですが、人に向けて使えば犯罪になり、危険なものになります。包丁自体は悪いものではなく、その包丁を悪く利用するその人が悪いのですね。

 

ニュースは悪いことばかりがクローズアップされ流されています。特に宗教のことがニュースに流される時は、悪事を働いた時が多かったりするので、イメージ的に宗教が悪いように感じてしまうかもしれませんが、悪いところばかりをクローズアップすれば、どんな人も悪い人に見えるようになってしまうだけで、賢い人は全体をみて、冷静に判断します。

 

確かに悪い宗教は存在しますが、確かに良い宗教も存在するのです。

日本人の中には、犯罪者がいます。その犯罪者をみて、すべての日本人が悪だというのは、いきすぎです。

 

ひとくくりにするものではないということですね。

 

 

悪いものばかりに目を向けると、すべてが悪く感じてしまうかもしれませんが、混乱して、良いものも悪いと勘違いしたくはないものです。

3、宗教のおかげで、悪を否定できる

人は、嘘をつくことができる生き物です。人間以外に、嘘をつくような生き物はいません。

人は悪さえも行動できるので、その人間には、愛や正義は存在していないのです。

 

その人間を基準にすれば、悪を悪だとして裁くこともできなければ、否定することもできません。

 

 

ですが、現代人は、悪は悪だと認識して、否定出来る人たちが多いはずです。なぜ、悪を否定できているのでしょうか。

 

 

それは、宗教が存在しているからです。

 

人には、愛や正義を固定できませんが、この世界を作られ、維持されている神様を基準にして、人は平等であり、権利があるとして、憲法が固定され、その法律を目安にして、悪を否定し、裁くことに成功しているのです。

 

例え、無神論や無宗教だと宣言していても、結局そのひとも、宗教の守りの中で生きているので、平和に暮らしていけ、関りがないというわけではないのです。

 

この世界を作られた神様の愛や正義に、愛や正義がない人間が従いその神様の基準に、何とか合わせようとすることで、悪を否定し、裁くことが出来ているのです。そうでなければ、犯罪者のご都合主義の考え方を否定することなど誰にもできないのです。

 

同じ人間の趣味趣向の言い争いを言い合っているだけになるからですね。

 

その人間を造られ、人間や世界が存続するのを許可されている偉大な存在が、愛や正義を崩さずに、表し続けられているから、わたしたちは、悪を否定することが出来ているのです。

 

ですから、神を信じていない人は、犯罪者を裁く権利もなければ、否定もできないのです。

 

否定できないはずなのに、否定しているのは、宗教の恩恵を受けて自然とそれを受け入れているからなのであって、その宗教を否定し、悪だと思い込むのは、間違っているということですね。

 

もちろん、悪い宗教は、良い宗教を基準にして、否定するべきです。

 

現代に残っている多くの宗教は、悪を否定するものばかりですが、それは現代に残っているものであって、200年も前になると悪を肯定する宗教はゴロゴロしていました。聖書の基準になっている現代人では、信じられないことを正義だと信じ込んでいる民族などが存在していたのです。

 

人は恐ろしいもので、例えそれが悪であっても、小さい頃から正しいと教え込まされていると、それを肯定して、疑問さえも持つことが出来なくなってしまうのです。動植物などはそのようなことはほとんどないので、自然のサイクルで平和に続くのですが、人間は自然のサイクルを無視して、勘違いできるだけに、恐ろしいのですね。

 

だからこそ、神様を基準にして、善悪を判断し、悪を否定することが必要であり、それを宗教と現代人は枠を設けているだけで、世界そのものであり、科学であり、事実なので、切り離すこともできなければ、人がどうこうできるものではないのです。

悪い宗教は否定するべきですが、すべて宗教が悪いわけではないということですね。

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