思考の変化

神様はどこから来たのか

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神様は、アダムとエバを造られ、ありとあらゆる生き物や物質を創られました。

 

では、その神様はどこから生まれ、存在しているのでしょうか。

 

クリスチャンならこのことを知ってはいますが、聖書をあまりしない人などは、疑問に思うことでしょう。

 

神様は、どこから来たのかについて今回は、考えていきましょう。

1、はじめから存在している

わたしたち人間は、生まれたら、いつかは寿命などで死んでしまいます。はじまりがあれば、終わりがあると考えてしまうわけです。

ですが、それは人間の価値観であって、世界は、人間が考える思考とは関係なく存在しているものが、とても沢山あるのが現実です。

 

太陽を作ったのは、明らかに人間ではありませんし、地球を作ったのも人間ではありません。

 

人間がどう思い込もうと、もともとこの世界の被造物は作られ、存在しているのですが、人間は、人間の都合でよく物事を決めつけて、勘違いをしてしまうので、神様という存在も人間基準で考えて否定的に解釈しようとしてしまいます。

 

そもそも、神様は、神様であって、人間ではないので、同じ感覚で考えるところが間違いなのです。

 

そして、その神様は、はじまりさえなく、はじめから神様が存在し、あらゆる物を創造されたのです。

 

はじめから存在する方ということです。

 

 

人間であるという感覚や価値観が、神様を理解しようとする時に、邪魔になってしまう場合があるということです。

こどもは、大人になりたいと思っても、時間がかかります。背も大人のように高いわけでもないので、高く成った時の感覚が分からず、憧れてしまったりするわけです。

 

大人になるとこどもの頃のことを忘れてしまうことはあっても、こどもを体験してきたので、ある程度分かると思ってしまいます。ですが、大人になると不自然な常識などを脳に植え付けられてしまったりして、自然に動くというこどもの振る舞いを理解できなくなったりもするのです。

 

こどもは、大人になった時の体の感覚や気持ちを理解するのが難しいように、大人も昔のことを少しずつ忘れて、小さい体の感覚や気持ちを理解しずらくなります。

 

ましてや神様の立場をどれだけ考えようとしても、やはりそれは難しいことなのだということです。

 

神様を理解しようとするのなら、一旦、わたしたちの人間であるという価値観を切り離す必要があるわけですね。

 

 

何かを作り出すには、何かを利用し、それらを使わないと、新たな何かを作り出すことはできません。

 

パソコンであっても、石油や物質があってはじめて、パソコンというものが生まれるようにです。

 

何かがあって、はじめて何かが生まれるのです。

 

何もないところから、何かが生じることがないのなら、はじめから「ある」という存在がなければ、この世界があること自体、説明ができません。

 

そのはじめから「ある」という存在こそ、神様であり、はじめの大元なのです。

 

 

 

では、そのはじめから「ある」という存在は、「意思がある者」でしょうか。それともビックバンなどのように「意思がない者」でしょうか。

 

 

答えは、「意思ある者」です。

 

 

なぜそのようなことが言えるのでしょうか。人間的な想いからすれば、感情的に、はじめから「ある」という存在は、無機物だろうと思いがちですが、現実の世界をみれば、そうではないことがハッキリと分かります。

 

なぜなら、意思がないところには、秩序もなければ、主旨さえなく、ランダムに存在するだけだからです。

 

では、現実の世界は、ランダムでしょうか?

 

無秩序でしょうか?

 

 

あなたの家は、屋根がないが、隣の家は屋根があるとか、無秩序でしょうか。

 

100m進むと、空気がなくなるでしょうか。

 

地球は、太陽のまわりをまわらない年があり、その状態でも人間は笑っていられるでしょうか。

 

 

わたしたち人間が存在し、物事を考えられること自体が、恐ろしく秩序のある世界が現実に存在している証拠なのです。

 

 

猫は、なぜ猫なのでしょう。ブタをみたら、どうして、ブタだと認識できるのでしょうか。

 

 

この世界は、何の意味もなく、無秩序でランダムであるのなら、コオモリをブタだというような形や姿などで決めつけることなどできないのです。

 

ですが、こどもであっても、ブタは、ブタだと判別できるということは、この世界は、「秩序がある」という証拠なのです。

 

 

「秩序がある」ということが、この世界の現実であるということは、どういうことでしょうか。

 

意味があってすべてのものは、造られ、主義主張の上に、法則が作られ、そのように、太陽も地球も月も宇宙も、生き物も人間も存在しているのです。

 

 

「意味をもたせられる世界がある」ということは、どういうことでしょうか。

 

 

「意味をもたせる存在がいる」ということです。

 

 

そうです。神様は存在しているのは、誰にも否定できない事実なのです。

どの神様が本物なのかまでは、分からない人がいても、「神様」という存在が、「意思がある者」として、「はじめから」存在されているのです。

 

 

現代人は、進化論というわけのわからない非現実的な宗教を脳に植え付けられているので、勘違いして、この世界は意味が無いと思い込むかもしれませんが、大昔から人は、神様を否定することはできず、その存在を認め信じてきたのです。

 

 

感情的に否定したくなったとしても、現実をみれば、神様を否定することなど、誰にも出来ないのです。

 

ローマ人の手紙1章20節

神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。

 

と聖書に2000年ほど前から書かれているのです。

 

永遠の存在。はじめであり、はじめから「ある」という存在。その「ある」という存在には、「意思がある」ということは、この世界である被造物によって、人間がどう考えるなど関係なく、現実に目の前に大量に証拠として、提示され続けているのです。

 

神様は、人間の心の中だけのもの?

 

そんなわけありません。

 

どこをどうみたら、そんな勘違いが出来るのでしょうか。

偶然存在しているのなら、なぜそんな言葉をいう口が存在しているのでしょうか。

 

人間は、宇宙にまでロケットなどで行けるほど科学が発展しました。ですが、太陽まで行くこともできません。人間には、太陽をどうにもできないのです。

なのに、太陽はなぜ秩序だって存在しているのでしょうか。

 

 

少し考えてください。100歩ゆずって、太陽や地球があるのは、いいとしましょう。

ではなぜ、地球のまわりを、月というものが回っているのでしょうか。

 

ビックバンという非現実的なものでは、月があることは、説明できません。

 

爆発したら、外側に広がるだけで、なぜ固定されて、月は、地球を回っているのでしょうか。

 

 

その月は、年間3,5cmずつ地球から離れています。

 

ということは、1億年前が存在するという進化論などは、月はどうなっていたというのでしょうか。

 

 

これら世界の現実を説明できるのは、意思ある神の存在だけです。

 

 

わたしたち、人間は、公園の砂場で、団子を作ることができます。団子2つつくって、横に並べて置くことができます。これはほとんどの人が出来ることでしょう。

 

ですが、それを蟻が遠くから見ていたとしたら、突然目の前に、月のようなものが、並んで現れたのです。

 

蟻からみれば、そんな巨大なものをこんな短時間で作り出すことは、不可能なのに、実際に、目の前に団子が2つ現れたのです。

 

 

蟻は、そのように思考はできませんが、もし、人間のように思考できるとしたら、「人間などいない!団子は、偶然できたんだ!」という蟻がいたら、面白いものです。

 

わたしたちの世界は、何億年も前からあるわけではなく、月からの距離や地球の自転の速度から言えば、まだ1万年もたっていない可能性のほうが高く、人やあらゆる動物は、意味あって作られ、ある時、突然、意思ある存在に造られ、存在しているのですね。

 

 

蟻と人間との性能の違いの距離が、1mだったとしましょう。

 

では、人間と神様の性能の違いの距離は、どれほどでしょうか。同じ1mほどでしょうか?

 

この世界を観る限り、そんな距離ではありえません。

 

 

聖書には、7日間で世界を創られたと書かれていますが、なぜ7日間もかけて神様は、世界を創られたのでしょうか。

神様なら、一瞬で造ることも可能だったはずです。

 

意味を持って7日間で世界を創り、意味を持って休まれたのです。

 

この世界のすべてのものは、神様によって守られ続け、神様なしでは、1秒と、もたないのです。

 

空気がなければ、ロケットなど作れません。空気が無ければ、人間は生きていけないからです。

どんな恐ろしい犯罪者に襲われたとしても、恐怖を抱けるのは、神様が、あなたを守って生かしているからです。死んでいる者は、恐怖など感じれないのです。

何か嫌だとおもったり、喜んだり、愛したり、愛を語ったり、文句を言えるのは、生きている証拠なのです。

 

 

そして、わたしたちが人間が生きているということは、意思を持った存在が、はじめから存在し、わたしたちを常に守り続けている証拠なのです。

 

鳥一匹として、神様は守られているから、存在できているのですね。

 

宇宙をみてください。宇宙は死で満ちています。あの環境が広大に広がっているのが、世界の常識なのです。

地球という奇跡のような世界の中で、平和ボケして生きていると、神様がいないというへんてこな嘘を神事めるかもしれませんが、現実は、そんなことはあり得ないのです。

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