イエスキリスト

もともとキリスト教や聖書は、白人系の宗教ではありませんでした。

ローマ帝国は、ヨーロッパ地域を広く支配しましたが、その属国の1つの国、カナンの地と呼ばれるパレスチナの地域の国で信じられていたのが、聖書であり、その聖書から生まれたのが、キリスト教です。

 

ローマ帝国は、もともと多神教を信じて女神崇拝などを行っていたのですが、それが一転して、キリスト教が信じられるようになりました。

 

なぜ、そこまでローマ市民は、キリスト教へとシフトしていくことが出来たのでしょうか。

 

ゼウスという神やその他の神々とキリスト教は、何が違ったというのでしょうか。

 

あきらかな違いがあったからこそ、多神教から一神教のキリスト教へとシフトしたわけです。ただ、なんとなくというわけではありません。

 

ローマにキリスト教が広まったわけを考えていきましょう。

1、ローマ市民は、賢かった

よく日本人の評論家などは、白人を差別する発言をします。どれだけ白人が酷い事をしてきたのかということを強調して、日本人の素晴らしさを説くわけです。

日本は戦争に負けてGHQによって情報封鎖され、あらゆる苦渋をしいられてきたからこそ、相手を必要以上に悪い存在だと強調してしまうわけですが、白人の歴史などをみれば、そこまで愚かではありません。

一部の白人は、白人で、日本を悪い国だとレッテルを貼るので、言い返したくもなるのは、とても分かりますが、何の得もなく白人はひどい歴史を刻んできたというのは、言い過ぎです。

 

日本人と同じ、もしくは、それ以上の倫理や論理を持って歴史を刻んできたのです。

 

ナチスが人体実験などをしていたというデマを広げたりすれば、それだけを耳にしたり読んだりした人は、それを信じ込んでしまい、ナチスは悪魔のような存在としか考えられなくなります。そのナチスと同格の存在として、日本もあげられ、今でも危険な国として国際的な位置にいるわけですが、日本人なら、そこまで日本は、悪い国ではないことを生活から知っています。

 

祖父母などをみれば、道徳的だと分かるようにです。

 

お互いに、仕返しのような感情論も含めて、言い過ぎるデマが広がって、収拾がつかなくなっている状態です。

 

今、世界や日本を支配している多国籍企業の都合のいい情報が散乱していて、近代史ほど、何が正しく何が正しくないのかが、分からなくされてしまっています。

 

GHQなどに情報統制されているのは、日本だけではないので、このような状態になってしまっているのです。

 

情報を操作できる日本の一部の悪い人間、情報を操作できる世界の国々の一部の悪い人間たちが、裏で繋がり、それぞれの利権を保持するために、何も知らないわたしたち奴隷国民の情報を統制して、争いをわざと生み出しているのですね。

 

日本人が気を付けなければいけないのは、そのどちらのデマの情報に流されて、白人は、非人道的な存在だと思い込んでしまわないことです。

 

日本は、1400年ほど前から憲法がありますが、本当の憲法を手に入れたのは、明治時代からです。そう考えれば、人権を世界中に広めた白人種族が、どれだけ人道的な思想も持っているのかが分かるのです。

 

特にキリスト教を取り入れたローマは、とても学問が進んでおり、ローマ市民は世界中の情報に囲まれて得が高くなって帝国を維持していたのです。

 

哲学なども発達しており、世界中の宗教をも研究し、世界のはじまりや世界の法則なども数多く考え議論されていました。

 

そんな高度な状態なのにも拘わらず、キリスト教は選ばれ、多くのローマ市民が、キリスト教を信じたのはなぜなのでしょうか。

 

よく、キリスト教は、ローマ帝国の支配層が、押し付けるかのように、広がったということを主張する人がいますが、そのように動きはじめたのは、ローマにキリスト教が渡るだいぶ後のことです。

 

むしろ、ローマ帝国は、ユダヤ教と共に、キリスト教を禁止して、弾圧を繰り返してきたのです。日本では、キリシタンを弾圧してきましたが、それと同じように、ローマ帝国は、キリスト教を弾圧していたのです。パレスチナ人であり、イスラエル人のキリスト教徒は、命さえも奪われていたほど、弾圧を受けていました。

 

かなりローマ帝国は、キリスト教を否定していた位置にいたということです。

 

ですが、それでも、キリスト教をローマ市民は、受け入れていったのです。そのキリスト教の広まる速度は尋常ではありませんでした。弾圧されているにも拘わらず、広がり続けてしまい。ついには、帝国を支配していた一部の人間さえも、無視できない存在へとかわり、キリスト教は、政治にも利用されていくようになったのです。

 

政治に利用されるようになってからは、キリスト教は歪曲していくわけですが、それまでは、弾圧されていても、なぜキリスト教は、広まったのでしょうか。

 

それは、キリスト教が圧倒的すぎる論理に裏付けられていたからです。論理が好きなローマ市民であるからこそ、その事実を認め、聖書の奥深さを認めざるおえなかったのです。哲学をさしおいて、多くの学者がキリスト教を信じるようになりました。聖書は、世界をあまりにも的確に説明できすぎていたのです。

 

ローマ市民が得が高い人たちだったからこそ、キリスト教は支配者が無視できないほど影響力を持つようになったのですね。

2、圧倒的な証拠で満ちたキリスト教

世界には、ありとあらゆる宗教が存在しています。ある宗教は、神が杖で土地をかき混ぜて作り出したり、動物と人間が融合したような未知な生き物を神話として登場させたり、多くの石造、偶像が生み出され、女神崇拝などをしている宗教もあれば、終末論を強調している宗教もあります。

 

あらゆる宗教がありますが、それらの話は、「空想」の類から出ることはありません。

 

小説や映画などで生み出された世界と変わらなく、ファンタジーのような神話が広がって教えられていきました。

 

キリスト教が凄いのは、これらとは全く違うということです。

 

黙示録というものを読めば分かりますが、ファンタジーのような意味不明なことばかりが書かれています。ですが、黙示録は、預言書ですから、明確に書かれているわけではなく、比喩表現で書くからこそ、未来が聖書の預言と変わらないで動いているわけです。

 

ですが、聖書は、預言書こそ意味不明ですが、そうではないものは、現実的なものばかりが書かれているのです。

 

そして、それらは世界を説明出来てしまっているのです。

 

古事記などを読んでも、まるで黙示録のようで、どう解釈していいのか解りません。それは古事記だけではなく、ギリシャ神話やエジプト神話にも言えることで、このように多くの宗教は、現実の世界を説明するに値しない内容ばかりで、答えが見いだせないのです。

 

その点、聖書は、とても明確に世界を説明してしまっている驚くべき書物です。しかも、とても明確に書かれているにも関わらず、今でも聖書は、論理的で、世界の法則と一致してしまっているわけですから、こんなものは、人間には書くことは不可能です。

 

世界中の情報が集められていたローマには、あらゆる宗教も集まっていたので、この聖書も研究されていたのですが、キリスト教によってさらなる高みへと変えられ、聖書を論理的に説明できるようになりました。

 

それはなぜでしょうか。

 

それまでは、聖書は預言書などがあり、他の宗教とあまり変わらない存在だとローマなどでも解釈されていたのですが、イエスキリストという存在があらわれて、旧約聖書のなぞが、イエスキリストという答えに辿りついたことで、旧約聖書の意味が、1本につながってしまうようになったからです。

 

ユダヤ教は素晴らしいものですが、旧約聖書だけでは、何が良い対いのか、不明瞭だっただけに、他の宗教との違いが見いだせなかったのです。

 

ですが、イエスキリストがその答えを表したことで、旧約聖書を理解できるようになり、圧倒的な論理を何千年にも渡って伝えられていたことが、驚きとなり、賢いローマ市民の目を開かせるようになりました。

 

何よりも、あらゆる宗教に登場してくる神々は、空想や文字の中の話ですが、イエスキリストという人物は、実在したからこそ、他宗教とは別格であり、歴史として残されているのです。

 

ゼウスと聞いても、それはその宗教の神概念で終わってしまうのですが、イエスキリストは、実在したからこそ、論理や哲学を愛するローマ市民が聞くに値する宗教となったのです。

 

イエスキリストが実在していないという学者はいません。そんな学者はエセ学者です。イエスキリストの教えを否定するひとはいても、その存在を否定する人はいません。

 

イエスキリストは実在したのか>>

 

イエスキリストがどのような人物だったのかは置いておいて、イエスキリストが実在したことは、否定しようもない事実でした。現実の世界の歴史の1つの存在した人物がイエスキリストだったのです。

 

そして、イエスキリストほど、歴史的に明確に記録される歴史の人物はいません。

 

なぜなら、福音書というものが4つも存在しているからです。

 

日本人で歴史が好きな人は、中国の三国志が好きな人が多いです。この三国志は、中国が3つに分かれていて、それぞれの国の都合のいい歴史解釈の書がそれぞれあるだけに、それらの書物から歴史がみえてきます。

 

だからこそ、面白いのですね。1つの出来事をそれぞれの立場からみた解釈で書かれているので、精査することができるというわけです。

 

ですが、三国志だけではなく、あらゆる世界に存在する歴史書というものは、その書いた人の立場、裏の支援する者たちの都合によって、真実とは違う解釈へと変わっていくものです。自分たちに都合のいい情報を歴史書に書いて、それを広げるわけですね。

 

いかに私たちの国が正しく正義で、素晴らしい国なのかといったことを納得させるための裏工作がされているということです。

 

それは、日本も例外ではありません。世界ほどではありませんが、日本もありとあらゆる歴史も、当然、それぞれの支配者や権力者の都合のいいものが、広がり、残されているのです。ですから、そこには真実性が欠如しているわけです。

 

ノンクリスチャンなどは、福音書は、まさにそれだろうと考えます。新約聖書という聖書に4つの福音書が書かれていたからといって、真実性が、あまりにもかけていると考えるわけです。

 

ですが、きちんと歴史を理解している人は、この福音書ほど、本当の歴史書は存在しないと理解しています。

 

なぜなら、新約聖書を書きあげた原始キリスト教徒たちは、圧倒的に、力が無かったからです。

 

パレスチナの価値観を支配していたユダヤ教からは、もちろん、原始キリスト教は、弾圧され、殺される者があとを絶ちませんでした。

カナンの地であるパレスチナを平和的に統治したいローマ帝国は、ユダヤ教側の立場を指示して、なるべく争いや動乱が起こらないようにしていたので、原始キリスト教は、動乱を引き起こすとして、ユダヤ教とともに弾圧へと走っていたのです。

 

正しいことを言っても、命を狙われる時代に、福音書を書くということは、どういうことなのかを理解しなければいけないのです。

 

4つの福音書は、もちろん、キリスト教を正当化して、説明しているものですが、その出来事には、嘘は書けなかったのです。1つでも嘘や証明がされないものであったら、どうなるでしょうか。

 

そこを突かれて、殺されてしまうのです。

 

弾圧されている宗教が書物を出すということは、命がけだということです。

 

ルカという福音書の1つを書いた人物は、医者であり、学者でした。学者的な目線から証拠を持って福音書を書き上げたのです。その他の使徒たちも同じでした。命がかかっているだけに、裏付けがなければ、福音書は書き上げることは出来なかったのです。

 

もちろん、ユダヤ教が大切にしていた旧約聖書には、手出しできません。もし、原始キリスト教が、キリスト教を正当化するために、旧約聖書に手を加えたら、それこそユダヤ教やローマ帝国の思う壺です。

 

絶対にゆるされない罪として、キリスト教は消え去っていたことでしょう。さらに弾圧を激しくするだけだからです。

 

命がけで、支配者の都合とは逆に書かれた福音書は、どの歴史書よりも歴史書であり、嘘や自己主観では、かけない書物だということです。

 

しかも、それが4つも存在しているのです。

 

そして、それら福音書は、旧約聖書を説明してしまい、旧約聖書の謎の答えが明確に見えてしまうので、哲学や学問の好きなローマ市民は、驚いたわけです。

 

他の宗教とは圧倒的な論理が聖書にはあり、キリスト教には存在してしまっているからこそ、多神教からキリスト教へと改宗してしまったのです。

 

 

論理的で学問的なひとたちが、キリスト教徒として増えていくことは、どれほどローマ帝国の根底をゆるがすものとなったのか、想像することができるでしょう。

 

すべての道は、ローマに通じるという言葉があるように、ローマはとても論理的で、政治も優れ、ほとんど民主主義的な思想さえも、存在していました。あらゆる解釈を政治にも取り入れて、まるで実験するかのように、政治も奥深いものでした。

 

そんな右にも左にも、きり返して実験していくようなローマ帝国が、キリスト教を取り入れてから、1200年も固定されて支配し続けるようになるのです。

 

これらは、他宗教では、成しえないものです。

 

多神教なら、あらゆる解釈で誤魔化し、都合よく利用できます。

 

ですが、キリスト教は一神教で、聖書という固定された書物さえもあるのです。圧倒的な権力を1000年以上も保持した組織を破壊したのも、聖書でした。

 

世のはじまり、世の終わり、世の法則、人間の歴史、政治から農業、生物学とあらゆるものを説明し、今でも説明できてしまう驚異的な聖書をキリスト教徒は、信じているのです。

 

自国の宗教をやめて、属国だった国の宗教を取り入れるということが、どれほどのことなのか、想像できるでしょうか。しかも、権力者は、キリスト教を弾圧していたのです。それでも、キリスト教へと多くのローマ市民が、改宗したという恐るべき歴史は、聖書の圧倒的な論理を裏付けるものなのですね。

 

もちろん、他の宗教もまた、共通点があり、アダムの教え、ノアの教えから分離して、枝分かれしているものです。

 

それら宗教のすべてを否定するわけではありません。ですが、多くが人間の都合が入り込み、歪曲されているものなのです。どうとでも解釈ができるように逃げ道が用意されているものばかりなのですね。

 

弾圧され、迫害され、苦難にあていたからこそ、聖書の正当性は証明され、イエスキリストは、世界中で信じられているのです。

 

聖書は、人間には、絶対に書けるものではないのです。神様が、預言者というペンを使って、人間にこの世界に説明書として与えられた書物なのです。

 

人には、愛や正義はありません。愛や正義は、人には固定することはできないのです。だからこそ、神様の基で固定され、人権をこれからも広げるようにしていくのですね。

 

 

 

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