世界の法則

聖書の神様は、有るという存在だと聖書に書かれています。

出エジプト記3章14節

神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。

わたしたち人間は、生まれてから歳を取って死んでいくので、はじめから存在しているという神様のことがなかなか理解できません。

神様がはじめから存在しているということは、どういうことなのでしょうか。

1、必ず最初がある

わたしたちの生きている世界では、物があります。宇宙があれば、太陽のような恒星もあり、その他の惑星もあり、それらが集まった銀河系があり、地球では有機物まで存在しています。

これらのものが、無いと考える人はいません。

仏教徒の中には、これらが無いと言い張る人もいたりもしますが、それらは当たり前ですが、目の前に存在し、触ることもできるものなのです。

無いようなものだということは言えますが、無いわけではないのです。

 

この世界は、必ず物があるのです。

ですが、物があるということは、最初は一体なんだったのでしょうか。

 

無というのは、本当に何もない状態のことです。何もない状態から何かが生まれることもなければ、作られることもないのです。

ですから、宗教を信じる信じないに関わらず、だれしもが、必ず、最初から存在している 何かがあったと考えるのです。

はじめから存在していたものです。

 

それを聖書は、神様だと書かれているのです。

聖書の最初の最初、1章1節は

はじめに神は天と地とを創造された。 

と書かれています。

神がいることは、そもそも当たり前だとして、書かれているのです。

 

はじまりがあり、終わりがあるわたしたち人間には、それを基準に物事を考えますが、よくよく考えてみれば、はじめから永遠に存在している存在なしには、わたしたちは、存在しえないのです。

それを神様と言わない人もいるかもしれませんが、それであっても、最初から、はじめから存在していた何か。サムシングは、否定できないのですね。

 

 

神様がいることは誰にも否定できません。頭が少しおかしな人ならそう発言する人もいるでしょうけれど、論理的に冷静に考えられる人は、この世界の事実をみれば、否定できないのです。

全知全能の神様が確実にいる証拠>>

 

ですが、神様がいることは証明できますが、では、どの神様が本物なのかは、なかなか証明できるものではありません。ですから、聖書には、わたしが神であるということが解るのは聖霊によってでしか解らないと書かれています。

 

これと同じで、世界を冷静に論理的にみれば、最初にはじめから存在していた「何か」があったことは解りますが、それが神様なのかは分からないといった具合です。

ですが、最初に永遠に存在しているものがあったからこそ、わたしたちの世界は存在しているのです。

 

 

 

2、はじめから有るだけではない

はじめから有るという存在があることは、なんとなく解っても、一体それがどんなものなのかは、想像しにくいです。

例えば、電車は、アルミニウムや鉄などあらゆるものが、人間によって加工されて、プラモデルのように組み立てられていき、最後には電車ができあがります。

ですが、それらの素材は、人間が作ったものではありませんね。

 

もともと、この世界にあった物質を使って、それらを熱などで変形させ、加工して利用しているだけです。

 

その物質も、この地球があってはじめて存在しえます。

進化論的な宇宙学などは、惑星が作り出されたものは、塵が集まって出来上がったとトンデモ論を繰り広げて話し始めますが、そんなことが不可能なのは、少し考えれば解かります。

なぜなら、宇宙は、無重力だからです。

物と物がぶつかり合えば、それらは弾かれ、拡散していってしまうからです。

 

ですが、実際に地球も付きも丸い球の状態で存在しています。

実はこれらの事実は、実際にはありえないのに、存在しているのです。

 

人間も不思議な存在だと話したことがありますが、人間も不思議なら、惑星の存在もこれまた不思議なのです。

どのように、これら惑星が誕生したのか、考えても考えても不可思議なことばかりなのです。

 

ある学者は、太陽から投げ出された物質によって、地球のような惑星が作られたと仮定しましたが、それもまたあり得ません。

なぜなら、太陽の重力を脱出して、外へと飛びだしていったというトンデモ論であるのなら、なぜわたしたちの太陽系の中の地球は、今でも、太陽の近くで回っているのでしょうか。

 

太陽の重力に飛び出されて、誕生したのなら、そのまま宇宙の果てまで飛んでいくはずなのですね。

 

もちろん、ビックバンの爆発によって飛び出してきたというアイディアも、現実にはありえません。

 

もし、この宇宙が小さくなり、ものすごいエネルギーを秘めた中心核の点が存在し、回転しながら、そのエネルギーを保持して、爆発とともに外に出たのなら、惑星はみな、同じ方向に回転していなくてはならないからです。

現実を把握すれば、ビックバンというものは、嘘だということは小学生にも解るようなことなのですね。

 

考えれば考えるほど、どうして、この世界が、この状態のまま保持されているのかが、謎すぎるのです。

 

唯一それを説明しているのは、聖書です。

 

聖書には、神様が、すべての星を一瞬で、同時にその場所に作られたことが書かれています。何かの力学によって移動したのではなく、神様の意思によって、今の地球や月、太陽や太陽系の位置が、置かれたのです。

 

わたしたち人間も泥団子を作れますが、泥団子が、自然に生まれるとは誰も思いません。泥なので、人間の手で固めなければ、崩れてしまうからです。そして、その泥団子を法則を無視して、好きなところに置くことができます。

人間は、まるで神様と同じようなことを出来てしまっているのですね。

何もしなければ、泥団子は、生まれません。ですが、意思があり、知能がある人間で、手があれば、泥を使って、本来では、ありえないものを生み出せるのです。

そして、その自然では作られるはずもないありえない泥団子をまた、法則ではありえないところに、置くことができるのです。

 

まさに、わたしたちの宇宙は、このように作られたのではないかと考えられるのですね。もちろん、規模こそ泥団子ではありませんが、宇宙全体の球の惑星が存在している理由は、人間自体がそれを証明しているのです。

 

そして、法則や宇宙の流れ、銀河のまわり方などを考えれば、絶対に、地球や月がこの位置にあることは、おかしなことなのです。ありえないのです。ありえないのに、実際に存在しているので、もうそれは、神様が、そこにそのように惑星を置かれたとしか考えられないのです。

あまりにも美しすぎる法則や運動力学があるのに、それに反して、惑星たちが固定されているように、何もない空間に存在しているからですね。

 

そうです。わたしたちの世界は、はじめからあれば、それで説明できるものではなく、知能が存在しているはじめから存在されている方によって、法則に反して、そこに存在しているのです。

なにか、はじめから有る物(石や物質)があるだけでは、説明できないのです。さらに知能を持った存在がなければ、ありえないのです。

 

聖書は、恐ろしいほど現実を正確に説明してしまっているのですね。

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