世界の法則

キリスト教を知らない人たちは、知らないだけにキリスト教のことを誤解しやすいです。

知らないので当たり前なのですが、問題は、わざとキリスト教を冒涜するような発言を繰り返す人たちがいるということです。

そういった人たちの言葉を知識がないひとたちは、信じるしかありません。

 

その1つとして、キリスト教は、人間中心に考えられた宗教で、動物は人間のために利用していいものだと考えているというものです。

 

人間以外は、ないがしろにしてもいいという教えがされているといったような主張なのです。

 

それは本当なのでしょうか。

 

間違いだとしたら、彼らはなぜこのような発言をするのでしょうか。

1、聖書の言葉の解釈

聖書は、大乗仏教と違って、聖書という固定された書物があり、旧約聖書、新約聖書があわさったものです。

これ以上付け足すことも禁止され、長らく聖書は、人の手を加えられず伝えられてきたのです。

 

聖書が固定されてから約2000年経つのです。

 

この固定された聖書という書物があるから、キリスト教は、大乗仏教よりも圧倒的に派閥が少ないのです。

 

人間の都合によって歪曲させられることが、出来ずらいという訳です。

 

憲法に人権の権利が書かれていて、それを国が都合よく、人権無視した行動を取りたいからと勝手に憲法を変えられないように、聖書もまた、勝手に手出しできないのです。手出し出来ていないからこそ、正当性があるという主張でキリスト教の教えは広がったからです。

 

原始キリスト教とは、ユダヤ教徒たちにいのちを狙われていました。もし、旧約聖書どおりではない、間違った発言をしてまえば、彼らはユダヤ教徒から石をぶつけられ、悪だとして殺されてしまうのです。

そのような恐ろしい時代ですから、絶対に原始キリスト教は、旧約聖書に手出しなど出来ないのです。旧約聖書を改ざんできるほどの権力もなければ、権利もまったくありませんでした。ローマ帝国でさえ、原始キリスト教を迫害して、ライオンなどに食べさせたりしました。

原始キリスト教徒は、旧約聖書に手を出すことは、迫害されていたからこそ、不可能だという証明になっているのです。

少しでも旧約聖書を変えてしまえば、ユダヤ教徒やローマに大義名分を与えて、さらにひどい迫害を受けてしまうのです。

 

にもかかわらず、原始キリスト教徒たちは、旧約聖書を大切にしました。旧約聖書を1文字も変える権利がないのに、その旧約聖書にイエスキリストの預言が大量に存在したのです。

 

イエスキリストの預言>>

 

この原始キリスト教の精神、命をかけて、いつわらないという精神は、2000年後の今でも形を変えながらも継続し、聖書を変えないことで、その正当性を保持してきたのです。

それはカトリックも例外ではありませんでした。カトリックは、その聖書を1部は改ざんはしても、大きく別の書物にするほどの改ざんはせず、自分たちの都合のいいところを改ざんは、すこしはしても、正当性を保つために、カトリックでさえも、聖書を変えることは冒涜になるという認識があるのです。

ですが、固定されているからといって、正しいことだを導いた解釈ができるかといえば、そうではありません。

 

聖書は、昔から正しいことが書かれているにもかかわらず、人間の現状の常識、その時代の価値観の「当たり前」という考え方が聖書をひねくれて、解釈して、読ませてしまうのです。

 

動物をないがしろにする宗教というキリスト教への発言をする人もまた、これと同じことをしているのです。

 

自分たちの都合や立場を正当化するために、揚げ足を取るのです。

 

大阪の有名番組の多神教的な評論家が、聖書の1部を取り上げて、そのような発言をしたのです。

創世記1章28節

神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。

口語訳聖書では、「すべての生き物とを治めよ」と書かれていますが、新改訳聖書では、「支配せよ」と書かれています。

 

その「支配」という言葉に反応して、キリスト教は、人間以外のものを「ないがしろにする宗教」だと堂々とテレビで発言したのです。

彼の聖書解釈は、歪曲させられた解釈ばかりが並べられ、キリスト教に悪意を持っているような発言が目立つのですが、テレビで堂々と発言すると、知らないひとは、それが正しいと思ってしまうわけです。

 

少しでも好感を持ってキリスト教をみている人などは、疑問が持てても、そうではない人がその発言を聞けば、その解釈をそのまま信じてしまうことでしょう。

 

多神教の彼だけが侵す、間違いではなく、キリスト教の中でも、解釈の間違いをしてしまうのです。

 

例えば、聖書には地球は丸いといった箇所が書かれているのに、当時の科学や学問は、この世界は丸くないという考え方が一般的でした。聖書を理解できないので、人々は、地は平地が続いているという一般常識にあわせて、聖書解釈をしようとしたのです。

 

この世界が丸いのなら、下の人は落ちてしまうじゃないかと判断してしまっていたのですね。

 

ですが、実際は、太陽や月のように、この地球は丸く、空間の中に吊り下げられているような状態なのです。その事実どおり、聖書は書かれていたのです。

 

このように、例え固定された書物であっても、その人の目が曇ってわざと悪いようにみたいと聖書を読めば、何度読んでも、聖書を悪く解釈して、あら捜しをするのです。

この「支配」という言葉も、現実を考えれば、当然のことです。

 

なぜなら、一体どこに、人間以上の動物が存在しているのでしょうか?

 

日本は、人間が支配しているが、アフガニスタンは、別の動物が支配していたりするのでしょうか?

 

いえいえ、この地球のどの国やどこの土地にいっても、人間がその土地を支配し、利用しているのです。それは森の奥に住んでいる民族であっても同じです。

 

人は、木からやりを作ったり、土地を耕したり、あらゆる場面で世界のものをコントロールしてきました。それが事実です。

 

トナカイが人間以上に万物をコントロールしているわけではありません。

 

どこにいっても、それが現実なのです。

 

 

動物や植物が可哀想だといっても、現実がそうなので、しょうがありません。

 

では、「支配」という支えて配分することは、悪いことなのでしょうか?

 

悪人が、包丁を持って、人に包丁を使えば、悪いことですが、料理人が包丁で料理に包丁を使えば、悪くありません。

 

 

聖書を冒涜しようとするひとたちの欠点は、1部の聖書の箇所、言葉だけをピックアップして、他は無視しているところです。

 

 

アダムとエバは、自分たちが裸であったことも理解していませんでした。

創世記3章7節

すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。

ですが、アダムとエバが善悪の木の実を食べて、悪を知った時に、はじめて「自分たちが裸であることがわかった」のです。

 

 

神様が、彼らに「支配せよ」と言った時は、彼らは自分たちが裸であることも理解できない善のプログラミングされただけの存在だったのに、どうして、「悪い支配」が出来るというのでしょうか?

 

200年前の人に、「スパムメールを送ったらダメだよ」といって通じるでしょうか。

 

メール自体を知らないのに、どうしてメールを悪いことに使えるのでしょう。

 

 

そうです。きちんと、聖書全体を読めば、この時に神様が人間にいった「支配せよ」という言葉は、「神の教え通り”正しく”支配せよ」という意味になるのです。

 

「ある男Aが、目隠ししたまま、一人の男性のいのちをつなぐ、ボタンを押して、無残に殺した」というと、Aは、悪い人間だと思わされます。

ですが、きちんと、その状況を説明したり、全体をみれば、それが悪いとは一概に言えないのです。

きちんと説明した言葉では

「ある男Aが、目隠しをしたまま、ひとりの連続殺人犯のいのちをつなぐ、ボタンを押して、死刑を実行した」というわけです。

 

死刑反対の人からいえば、それも悪いことだと言うかもしれませんが、人を殺すことを正義として生きた人間を手にかけることは、聖書では認められています。

聖書は、「人を殺してはいけない」という価値観、人権を大切にするからです。

その教えの逆の「人を殺してもいい」という価値観、非人権主義者は、世界を崩壊させるものなので、その度合いによって違いますが、排除するべきだと教えるのです。

 

アブラハムなどの時代は、まさにそうでした。聖書全体を読み、その時代の価値観を無視して、現代の価値観で読むので、カナン人たちでさえも、「人権」を持った民族だと考えるから、聖書の聖絶を理解できないのです。

 

200年前まで、カニバリズムという人が人を食べる文化のほうが、世界を覆っていました。あらゆる場所で、動物のように人間も食べられていたのです。

その常識を打ち砕いたのは、聖書です。

人間は食べてはいけないという価値観が、当然のように世界に広がり、カニバリズムは否定されて、200年以上経った今の価値観で、考えるから勘違いするのですね。

 

聖書は、固定されていても、その人の立場や状況、頭の中のプログラミング次第で、悪く見えてしまい、悪く観たいとおもって、テレビでも堂々と一辺倒な発言をする人間がいるということです。

 

わたしは日本人ですから、日本寄りの考え方をどうしてもしてしまいますが、それでもアメリカやカトリック、仏教や神道、あらゆる方面のひとたちの意見を理解しようと努めます。表面だけをみて否定するのは簡単ですが、誠実さをもってそれらに従事しているひとには、それなりの誠意を持った発言をするべきだと思います。

ですが、人権を頭から無視している悪魔宗教的な人間や思想については、辛口です。聖書も辛口です。

 

悪魔宗教も、さまざまな歴史があり、一概に悪いとも言えないとは思っているのですが、彼らは神を冒涜している以上、そこに愛や正義は、存在しません。

突き詰めていけば、悪に根ざした考え方や正義になっていくからです。

 

とはいえ、彼らの主張を100%否定するつもりもありません。実際にそういった人間がいる以上、完全に無視などできないからです。

 

悪魔宗教の自称牧師や神父、神学者などによる、聖書への冒涜、聖書解釈。他宗教からの聖書への冒涜。未信者(進化論崇拝者)からの聖書への冒涜。あらゆるところから、冒涜されますが、考え方が偏っている場合が多いです。

そういった人たちの発言には気を付けましょう。

ですが、純粋に聖書の解釈が解らず、冒涜したような質問をしてしまう未信者の人たちのことは、悪いとは思いません。それは知らないからしてしまうことだからです。むしろ、こちらが驚かされることもあり、その質問で新たに聖書のことを理解できることもあります。

歪曲した色眼鏡で冒涜している発言と純粋に疑問に思って冒涜したような発言になってしまったものは、言葉は同じでも、まったく違うというわけです。

 

前者の場合の多くは、こちらが説明しても、まったく聞く耳がなかったりしますが、後者の人は、分かり易く説明すれば、うなずいてくれるので、解るでしょう。すぐに口をはさもうとするひとは、前者になります。

自分の色眼鏡を変えたくないと恐怖するから、反論を繰り返すのです。

 

2、万物は、愛すべきもの

神様は、人間よりも前にあらゆる生き物を造られました。人間は、すべてのものが造られた後に、最後に造られたのです。

 

そして、あらゆる万物を造られた時、こう書かれています。

創世記1章31節

神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。

「それは、はなはだ良かった」「非常によかった」と書かれているのです。

 

全知全能の神様からみても、よかったと思えるようなものたちが、生き物だったのです。

 

人間は、神様に造られ、神様に常に守られています。その神様がよかったと言われるものたち、万物をどうして、人間が悪い対応をしていいという教えになるのでしょうか。

 

むしろ、万物は大切に扱うべきなのです。

 

神道は、自然崇拝のようなところがあるので、自然を大切にすると、また同じ評論家が言っていました。わたしもそれは賛成です。わたしは日本の神社めぐりをするのが好きで、色々な神社にまわるのですが、その多くが、自然にまつわるような神木だったり、大岩だったりと、圧倒されるからです。伊勢神宮や諏訪大社などは、本当に好きです。

ですが、その評論家は、また余計なことを言い始めたのです。わたしはその評論家は、好きな方なのですが、時折、悪意がみえるのが、欠点だと思っています。

そして、キリスト教は、自然を大切にしないというのです。

 

これを聞いてわたしは「大嘘」だと思いました。

 

彼は白人系を嫌っているようですが、わたしが滞在した白人系の国では、どの街にいってもゴミ1つ落ちていませんでした。ものすごく綺麗にしているのです。そして、大自然はとても綺麗に守られて、保護されているのです。ゴミなども落ちていません。

ですが、日本はどうでしょうか。

 

ゴミが落ちていない場所はないというほど、ゴミだらけです。神道の場所でもゴミが落ちていたので、拾ったこともあります。神社はさすがにゴミなどが少なく自然を大切にしていますが、それ以外の場所では、お世辞にも、自然を大切にしているは言えません。

富士山ですら、ゴミが多すぎて、世界で評価できない山として否定されています。

 

その評論家のように口ではなんともでいいますが、実際日本人がしてしまっていることを考えると、疑問が残ります。

 

高校の時、友達が下校の途中、飲んでいた空き缶を誰の家かもしれない塀の上に、飾るように捨てたのをみて、わたしは叱りました。

「お前がそんなことをするなら、今度お前の部屋に俺の家のゴミを捨てていくからな」と言ってやりましたが、それほど日本人の精神は、神道から離れてしまっていると思われます。

 

ですが、白人系の国は、むしろものすごく自然を大切にして、愛している行動をとっているようにわたしには感じさせました。

 

街中にも、ゆっくりと散歩するように歩く、大きな鹿や動物たちがいて、熊さえも街に出没するほどでした。

 

日本は、動物が少なすぎます。動物園に入れてみるしかないほど、動物がないがしろにされているのです。車大国の日本では、動物は、みじめなものです。

動物がひかれているのをみると、悲しく思うのですが、車を使っているわたしからは、偉そうなことは言えません。

 

未来では、動物も自由に行き来できるほど、事故が起こりようもない安全な乗り物として、車などがあってほしいですが、そうなるまでかなりの犠牲が出ることでしょう。

 

聖書には、動物のことが沢山書かれています。動物は愛すべきもので、ライオンでさえも、未来では人間とともに仲良く暮らしているというイザヤの預言が書かれているほどです。聖書は、自然を大切にすることが大前提です。ですが、人間が世界を支配しているのは、ゆるぎない事実であって、その人間次第で、万物を破壊するのか、それともコントロールして、さらなる平和を作り上げるかは、人間がどれだけ神の子孫になるのかにかかっているのです。

 

イスラエル人は、神木を大切にしたり、水を大切にしたり、山に名前を付けるほど大切にしたり、ありとあらゆる自然との共存をしてきた民族だったことが聖書に書かれています。

そして、その聖書を正典としているキリスト教は、決して自然をないがしろにする教えはしていないのです。

 

一部分だけを取り上げれば、どんな人間も悪者にできるように、聖書もまた同じです。聖書は神様から与えられた、恐るべき書物ですが、人間はそれを無視して、悪く考えることも、ないがしろにすることもできるのです。人間ほど、素晴らしいものもないと思いますが、人間ほど、恐ろしいものもないのです。

悪魔は霊であり、脳や霊に働きかけることはできますが、体がないだけ、惑わされた人間のほうが危険だとさえ言えます。

まったく、善だと思って信じ込むのも問題ですが、悪を大前提にして、聖書を読むのも問題です。

きちんと全体を読んで、そして、世界の現象を理解しながら、読んでいきたいですね。

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