世界の闇

キリスト教は、音楽が盛んです。

カトリックであれば、クラシック。プロテスタントならジャズ、ゴスペルなどのイメージがあります。

ギターやドラム、ベースやピアノなどを使い毎週賛美している教会もあります。

 

ですが、音楽は、難しいもので、神様に感謝し、賛美を奏でるというだけではなく、何か上を目指し、目的を見失わせてしまうものでもあります。

音楽は、悪いものなのでしょうか。

1、音楽、音の法則を創られたのは神様

音は、空気があるところ、真空ではないところに存在するものです。

振動であり、その振動が起こせないところでは、音は鳴らすことができません。

 

その音には、ピッチというものがあり、そのピッチは、音域によってまるで円を描くように、グルグルとまわって存在しているのです。

 

ド→1オクターブ高いドまでの音があるわけです。

同じ、ドであっても、ピッチによってさまざまなドがあるのです。

 

絶対音階という小さい頃から音楽に親しんでいる人は、すべての音がドレミで聴こえているといいますが、それは、現代人の基準を固定しているだけであって、実は、ドレミ以上の音が存在しているのです。

西洋文化では、12音で、円を描くのですが、アフリカなどの音楽では、32音で円を描くように、音を使ったりするので、ピアノでは表現できなかったりもするのです。

ド→#ドと、半音高く上がっていくものが、西洋文化ですが、そのドと#ドのさらに間の音も使っている文化もあったということです。

 

そこにリズムという時間軸や強弱などを合わせて、様々な表現を表しているのです。

 

振動を音に感じるには、人間には鼓膜が必要で、それがなければ、ベートーベンのように、肌で振動を感じて作り出すしかなくなったりするのです。

音は、奥が深く、いまだに人を魅了するものですが、その音を作り出したのは、神様です。

 

ですから、音楽自体は、決して悪いものではないのですね。

ですが、悪いものではなくても、それを悪いものにすることができるのも、人間なのです。

2、良いものが、悪いものになる

包丁は、料理に使われれば、とても便利で、素晴らしいものです。

ですが、それを人に向けたりすると狂気になります。

 

キリスト教は、愛やゆるし、律法や平和を広げる良いものですが、素晴らしいだけにそれを私利私欲に使うと、悲劇が生まれてしまいます。

包丁やキリスト教が悪いのではなく、それらを悪いことに利用する人間が悪いのです。

 

会社が悪いのではなく、詐欺師など、ダミー会社が悪いのですね。

このように、人は、良いものさえも、悪いものへと利用できてしまうように、使い分けることが出来てしまうのです。

 

音楽もまた、同じで、音楽自体は、決して悪いものではないのですが、その音の法則を造られた神様よりも、その音を優先にして、未了されたりしはじめると、問題が生まれていくのですね。

 

音の世界は、深いという話をしました。

それだけに、その音の探求をすることは、楽しいのです。

また、それらを手に入れようと日々努力している自分に酔いはじめたりしてしまいがちです。

これは、科学や学問などの上を目指していくような感覚に似ているのです。

 

そこに問題が生まれるのです。

 

人は、不完全だけに、完璧を目指してしまいます。

12音が完璧だと認識した西洋音楽もありますが、音自体は、さらに複雑に存在し、時間軸を取り入れれば、果てしなく広がるパターンが存在しています。

ですが、人は、人にとっての固定概念を持ちやすく、基準は、広い世界を狭いものへとしてしまうものでもあるのです。

 

また、広すぎればいいかといえば、そうでもありません。

 

聖書は、すべてのことは良いと書かれています。ですが、すべての時に良いものではないと教えているのです。

広いことを目指せば、それが足かせになり、逆に狭めたとしても、足かせになるのです。

 

その時によって、良いものが、悪いことになってしまうのが、人間です。

 

ですから、人間を基準にすれば、正義もなくなれば、愛も無くなってしまうのですね。

 

だからこそ、すべての法則を造られた、神様を基準にしなければ、すべてはむなしいものになるのです。

 

音楽をつかさどる天使が、神様の上になろうと画策し、反旗を翻しました。

神様以外のものは、必ず不完全になり、それに意思がさらに持つ能力を与えられたのであれば、今よりも完璧なものになろうと意識が目覚め、決して不可能なことさえも望むようになり、悪になるのです。

 

聖書の教える善悪とは、人間の善悪のことをいうのではありません。

この世界の法則、事実そのものが、神様であり、それ自体が、善なのです。

ですが、悪は、その事実を捻じ曲げ、存在しないものを存在しているかのように錯覚させたり、存在しているものを存在していないかのようにさせることが、悪になるのです。

 

世界の法則を造り出した神様を超えることなど不可能です。

ですが、不完全なものが、さらなる完全を目指して、それ以上の不可能を目指すことが悪だということです。

 

音は、円でしかありません。それ以下でも、それ以上でもありません。

ですが、人間の想像力は、それ以上にも感じるように、脳を錯覚させることができるのです。

 

同じドであっても、その出し方や想いによって、あたかも至高のドのように、持っていき、神格化するようなドにみえるように、錯覚することも人間には可能なのですね。

 

カトリックは、そのように神々しいものへとキリスト教を悪用し、人々を騙し続けてきました。

聖人を表すために、偶像を教会の建物に表し、その偶像に誘導されて、人間は、素晴らしいと勘違いして、騙された人もいれば、そういう時代もあったのです。

 

ですが、イエスキリストやブッタなどは、そのような見せかけの思い込みを否定し、とてもシンプルに法則を捕らえ、教えました。

トリックと事実を分けたのです。

 

尾崎豊というミュージシャンがいますが、彼を好きではないと考える人がいます。その理由の1つとして、ギターなどを地面にたたきつけて、壊したりするからです。

ですが、これはイエス様もしたことでした。

神様を教え、正しく人間を導くはずのものを人間が、金もうけや惑わしに利用しているのをみて、イエス様は、とても怒られました。そして、神殿で商いをしているひとたちの場を手でひっくりかえされ、否定されました。

 

尾崎豊も、音楽を悪いものへと利用して、必要以上に神格化した思想を否定し、シンプルに愛やゆるし、音楽を楽しむことを目指しながらも、少しでも悪意にひきずられる自分や人々への表現として、音楽を壊す、ギターを壊すという行為を行ったわけです。

 

事実以上に、思い込ませる音楽は、悪であると考えたのですね。

ジャズも似たようんたところがあります。フリージャズというものがありますが、とても適当に、ぐやぐちゃに奏でているようにみえるのですが、実は同じように、純粋に音を楽しみ、表現するわけです。

人間の固定概念を打ち崩すかのような表現をするのが、フリージャズだと言えるかもしれません。

ジャズで有名な山下洋輔というミュージシャンがいるのですが、彼のコンサートは、まるでピアノを殴ったり、叩いたりしているように適当にみえるのです。

 

ある時は、ひじでピアノを弾いたりもします。

 

何をやっているんだ?と理解できないように感じるのですが、まさに綺麗にひくだけでもなく、そうでもない音を楽しむことを純粋に目指しているわけです。

 

正しいことをしたとしても、固定概念によって他人を批判する人がいますが、音楽だけではなく、生きていく仮定の中で、同じように思想がぶつかりあうのですね。

 

愛であり、ゆるしである音を純粋に味わうものは、感謝し、喜びの生活を送ります。山下洋輔さんは、いつも笑顔で、高飛車な態度はみせません。

逆に、何か神聖な空想を描いて、綺麗に聞こえようとするクラシックやジャズやロック、ポップ、さまざまな音楽のジャンルに、錯覚を入れこんでいる人ほど、他人を卑下したり、否定するのです。

 

神様からすれば、人間が何をしても、決して完璧な音楽を奏でることはできません。

それでも、神様は不完全であっても、神様に感謝を表し、自由意志を行使している人を愛され、喜ばれるのです。

 

人間は、完璧だから神様から愛されているのではなく、愛されているから大切にされているのです。

愛が先に存在しているのです。

神様の愛は人間の感情論ではありません。事実としての愛であり、人間を愛さずにはいられない愛なのです。

 

悪を認めることはできませんが、完璧じゃないというだけのことで、愛さないわけでもないのです。

 

音や学問、科学や論理や倫理によって、争いあうのは、愚の骨頂です。

旨趣がずれているのです。

 

神様は、人間を安全に平和に楽しめるように、世界に法則を与えたのに、その法則の優劣を競って、争いあったら、意味が解らないことになるのです。

 

しかも、神様自体を超えようとしたり、批判したりするのは、マラソンをしようとして、スタートしたら、後ろ向きで逆走するようなものです。

 

音楽は決して悪いものではないのに、人間の感情論や空想によって悪いものへと歪曲させていくことが、悪いのです。

すべてのことは、良いことです。例え、音がずれても、神様に感謝し、喜び、平和であれば、その音楽は意味が通っているのです。

さらに、そこに綺麗に奏でられれば尚いいというだけであって、それを争いに持っていくのは違うというわけです。

 

蛇は、神様が造られた生き物でした。ですが、悪魔がその蛇に入り込んで、蛇を汚したのです。

蛇自体は、決して悪いものではなかったのです。

 

正しいことでも、正しくないことに歪曲させられる時は、気を付けましょう。

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