思考の変化

わたしたち人間は、不完全です。

ですから、全知全能の神、絶対の神様という存在を完全には理解することができません。

ですが、人間は、その神様のことを理解したいと昔から探求してきました。

 

この世界は、不思議で満ちています。

不思議な世界だということを理解できていない人は、論理的な思考がまだ育っていない、または脳が正常に働いていないということでしょう。

あまりにも、この世界が秩序だって存在していることは、本来ならありえないから、そう言えるのです。

 

このように謎や不思議が、多くありますが、疑問も沢山湧いてくるはずです。

その疑問の1つとして、絶対の神様は、なぜ不完全な人間を何よりも優先するかのように、選ばれたかというものです。

 

人間は、空も飛べません。天使のように知識もなく、下手をすると、1つの能力だけをあげれば、動物以下です。知能は動物以上にあっても、チーターのように早く走れるわけでもありません。ワニのように力強い顎を持っているわけでもありません。

なぜ神様は、正直、中途半端な人間という生き物を世界をコントロールさせる存在として、選ばれたのでしょうか。

今回は、それについて考えていきたいと思います。

1、神様は、完全なるお方

神様は、絶対的な力を持っておられます。

なぜそのようなことを言えるのでしょうか。

 

それは、わたしたちが生きて存続しているという途方もない現実を目の当たりにしているからです。

この世界は、あまりにも美しすぎます。秩序だって作られすぎているのです。

全知全能の神様が確実にいるという証拠>>

 

その事実から、考えると、神様は、時間さえも超える力を持っていることになります。

なぜなら、1つの法則を作り出したとして、それが将来の複数作り出した他の法則との相性が悪く、世界の秩序が崩壊してしまうリスクがあるにも関わらず、それらが共に存在している世界が現実にわたしたちは、体験しているからです。

エジソンは、「1%の才能と99%の努力。」といいました。何百回、何千回、何万回と失敗を繰り返し、ようやく1つの成功に辿りつく、それが発明だとエジソンは、理解していました。時間が現在から未来へと一方通行に流れる世界に縛られているわたしたち人間の限界です。

 

1つの出来事を起こしたとしたら、その1つが、善になるのか、悪になるのか、人間には解らないのです。

へたをすると核爆弾のように、世界を滅ぼしてしまうかもしれないのです。

 

ですが、この世界には、核爆弾などという可愛いものだけではなく、少しでもずれれば、世界が崩壊する法則が、多数に存在している現実があるのです。

それらを同時に精確に、使いこなされている存在は、時間さえも超越していなければ、それらを統括できるはずがないのです。

神の時間の概念>>

 

怖ろしいほどの法則を駆使され、時間さえも超越しているだろう神様は、完全という存在でしか言えません。

実際に、この世界があるのですから、疑う余地もありません。

 

それともわたしたちは、実は存在していないというのでしょうか。ある大乗仏教では、「無」だと言います。すべて、存在していないと考える人がいるのです。

学問的な人は、「無のようであり、無ではない。」と表現します。

聖書は、仏教よりもさらに前に、「空」の教えがされていました。この世界は空であると書かれているのです。

 

伝道者の書1章1節

ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。 2伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。

 

ですが、神様という絶対的な存在が無から創り出した現実といわれるバーチャルな世界であるというわけです。

すべてが空であるというわけではありません。

 

漢字には、「作る」「造る」「創る」と3種類の「つくる」があります。その中の「創る」は、無から創造され造られたという意味合いで使われる漢字です。

わたしたちは、本来、「無」というところの世界にいる「ある」という存在から創られた、一部なのです。

 

進化論は、何億年前に恐竜がいたとありえないことを未だに発表していたりしますが、この世界は、約6000年ほど前に創られたと、現実の世界の物質などでは考えられるのです。

例えば、月と地球は、実は少しずつ、遠心力によって、離れて行っているのです。

もし、1憶年前に、月と地球があったのなら、その距離は0を超えているのです。

 

海の水は、塩水です。これを現代人は、当たり前あと考えますが、実は、海は、淡水だったのです。塩水になったのは、岩塩などの陸からしみ出した塩によって、毎年濃度が上がってきているからなのです。死海という海と繋がった湖が中東にありますが、死海は、ものすごい塩の濃度にさらされ、人間の体も簡単に浮いてしまうのです。

 

このように、塩分濃度を逆算していくと約6000年ほどになるのです。

 

実際の世界は、進化論という嘘の学問、宗教がいっているもののようには、存在していないのです。

進化論の正体>>

 

むしろ、驚くべきことに、聖書に書かれた記載どおりに近いとされるものばかりなのです。

聖書は、人間が書ける能力を完全に超えているのです。

 

その聖書には、神の言葉は、神の霊によって書かれたと記載されています。

聖書は、人間という「えんぴつ」を使い、神様が人間のために与えた、この世界の説明書なのです。

 

そして、その偉大な聖書を書いた、さらに偉大な存在、それが神様であり、完全なるお方なのですね。

2、はじめから存在した神様が、自分以外の世界を創る

神様は、「ある」という存在だと、聖書には書かれています。

出エジプト記3章14節

 神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。

 

神様は、はじめから「ある」存在でした。

ですが、はじめから「ある」という存在を想像した時、どのように神様は、ご自分を「ある」と認識することができたのでしょうか。

 

自分が「ある」というのを証明するには、自分以外の存在、「物、宇宙、土、土地、惑星」など、神様以外のものを作り出し、ご自分を理解されたはずです。

その瞬間が、天と地を創造されたという創世記1章1節です。

 

わたしたち時間に拘束された人間の主観では、理解できませんが、神様は時間の流れを作り出した存在で、逆にいえば、時間がないことが本来の無だったのかもしれません。そこに神様だけ、神の霊だけが「ある」というものだったのでしょう。

 

そして、それを時間と共に、形あるもの、天と地が創造された瞬間(同時)に、世界である神様が存在し、イエス様も存在し、三位一体の神様として、表されたと考えられます。

過去・現在・未来と同時進行で、時間を超越している存在なので、人間のように順番を表す必要も本来はないのです。

 

ですが、人間は、時間に拘束されているという設定で、神様によって造られているので、神様は、わざわざ7日間という時間を使って、世界を創造されていったのです。

神様であれば、すべてを1秒のくるいもなく、作り出すこともできたのに、わざわざ7日間もかけて、造られ、人間に順番という意識で、解かりやすく理解するために、創られたと考えられるわけですね。

 

 

神様にとって、人間も同時に創ることもできたのですが、わざわざ、世界を先に、創られ、その後、人間を土や骨から造られたのです。

 

そこで、なぜ神様は、人間を登場させたのでしょうか。

 

3、なぜ神様は人間を造られたのでしょうか

神様が、「ある」という認識を獲るためだけなら、人間は必要ありません。

創り出せたその結果によって、ご自分が認識できるからです。

 

ですが、それは、神様だけの認識です。

で、あるのなら、神様が「ある」と認識できる知能を持った存在を作り出そうと考えられたのではないでしょうか。

 

「ある」という存在をご自分に、認識するだけではなく、意識ある自分以外の存在が、神様が「ある」と認識したことで、2重に存在している理由を生み出すことができたと考えられます。

 

ですから、神様の愛は、一方的です。完全なる愛によって、常に人間を愛し続けているのは、神様の存在そのものだから、愛するわけです。

愛さないということは、神様ご自身を否定することになるのです。

 

ですが、これは、とても危険をともないことでした。

なぜなら、神様は、この世界そのものであり、完全であるからこそ、善でしか存続できませんが、神様以外のものを創り出すのあれば、神様と同じような完全なものは創れないのです。

 

神様がふたり存在してしまえば、世界は崩壊するからです。

 

ですから、神様以外のものは、どうしても、「不完全」なのです。

 

しかも、かなりの不完全さです。

時間の束縛、法則の束縛、ありとあらゆる能力を制限された存在として、生み出されました。

 

例えば、わたしたち人間が、作り出されたその瞬間に、神様のように、法則を自由に操作できる存在として、生まれたのであれば、そのことによって、世界は、滅びます。そうならないために、かなりの能力を制限する必要が出てくるのです。

 

それは、天使も同じでした。

天使は人間よりも優れた能力を持っています。自由意志も存在しました。

ですが、その天使は、第一の存在である神様から創られた存在なので、不完全にならざる負えません。

不完全だということは、自由意志という知能を持っていれば、さらなる「完全」を目指してしまうことになります。

 

できないことをできるようにしたいと、不完全であるからこそ、望んでしまうわけです。

そこで、別れてくるのが、神様側なのか、それとも神様に反する側なのかです。

 

神様は、この世界そのものなので、神様ご自身を反することはできません。

ですが、不完全であるものは、不完全だからこそ、完全を目指してしまい神様に反逆することが可能なわけです。

 

それが、悪魔の誕生につながりました。

音楽をつかさどるといわれた天使が、天使の3分の1をひきつれて、神様に反逆したのです。

神様はもちろん、天使たちが、反逆することをご理解されていました。それを良しとして、許可されたのです。

もちろん、不完全な天使が、完全な存在に勝てるわけもなく、反逆した天使たちは、地に落とされました。

 

それらは、悪魔となり、天使の時の能力をさらに制限した存在として、存続を許可されたのです。

 

 

それは、人間の為でした。

 

ですが、天使と同様に、人間は、不完全です。不完全であるがゆえに、完全なものになろうとする者も現れるはずです。なぜなら、天使と同じ、自由意志と知能を神様から与えられていたからです。明らかに、人間は、天使よりも能力には劣っているように造られてもいるからです。

 

人間を造るということは、かなりのリスクです。

 

知能がなく、自由意志のない物、動物や植物、鉱物、無機物は、神様の法則に逆らうことはできません。ですが、人間や天使などは、知能を持っているだけに、逆らうことができるのです。

だからこそ、世界を壊すこともできるのです。

 

人間を造り出すということは、神様ご自分を危険にさらす行為になるわけです。神様ご自身は、ご自分を傷つける道理も理由もはありません。ですが、不完全であり、知能がある人間は、神様に反逆できる能力を持っているだけに、世界を壊すことも可能になるからです。人間や天使を創らなければ、永遠に「ある」という意識を認識しながら、存続もできたはずです。

 

なぜ、神様は、このような中途半端な人間という存在を危険を冒してまで、選ばれたのでしょうか。

 

 

4、人間という中途半端な存在を選んだことは、ものすごく絶妙である

人間的な感情論で考えたら、能力が高い存在を並べて、安全に世界を運営していこうと考えることでしょう。

まるで、ロボットのように完璧に、乱れることなく、安全になることを望むのです。

 

なぜなら、人間は、不完全だからです。

人間は不完全だけに、「怖いのです。」

 

心配が募るのです。

 

完璧主義者は、表面的にみれば、優れているようにみえますが、その奥底は、とても幼稚なのです。

怖いからこそ、完璧にして、「安心したいと望むのです。」

 

怖がっているのですね。

 

ですから、他人や乱れているようなものを必要以上に感情的に毛嫌いするのです。

 

ですが、神様は、完璧なのです。

完璧な者は、恐れはありません。完璧を望む必要もありません。完璧である世界が必要であれば、完璧に調和の取れる世界を造ればいいだけです。

 

また、神様が完璧であれば、その他の物は、完璧な存在として作り出すことはできません。

必ず、能力を制限した存在を創らなければ、世界は成立しないからです。

 

恐れを抱く必要もなく、自分以外は、不完全であるのであれば、不完全なものを時間とともに練り上げるという完璧さを望まれると考えられるのです。

 

人間は、天使よりも能力がなく、ヘタをすれば、動物の能力よりも劣っています。

能力があるのか、ないのか、わからない微妙な存在、それが人間です。

 

ですが、神様が選ばれたのは、能力の優れた天使でもなければ、知能のない動物でもありませんでした。中途半端な存在、人間を選ばれたのです。

 

また、選ばれただけではありません。その不完全であるからこそ、世界にリスクをともない、世界を破壊する能力さえも託されている人間は、未来に、どのような世界を支配し、作り出していくのか、神様は、アダムを造る前からご存知だったのです。

 

だからこそ、アダムは、イエスキリストの似姿に似せて、造られたのです。

 

世界に天と地が創造されたその瞬間(同時)に、創造主・聖霊様・イエス様は、三位一体の神様として、存在されていました。

イエスキリストの創世記>>

 

それは、不完全である人間が、罪をおかし、そのうちの中に、神様という現実を否定し、反逆する人間が育つこともご理解されていたのです。

悲劇や悲しみが人間が自分の首を自分でしめるかのように、生み出していくことも、ご存知でした。

すべての人間の人生をその人以上に、理解し、味わい、ともに人生をみてきた神様は、すべての人間をすべての生き物とともに、存在されているのです。

だからこそ、その中途半端な能力の人間を、その完璧さゆえに、愛することしかできず、ご自分を十字架刑にかけて、救われたのです。

 

天と地が創造されたその時には、すでに、すべての世界の救いは完成されていたのです。

 

その中で、神様が選ばれたのは、中半端な能力を持つ、人間という存在だったのです。

 

まさに、これは絶妙な選択だということです。

 

天使のように賢くても、成立しません。天使は、人間よりも能力は高いですが、人間のために用意された「物」です。動物も植物も、世界も、ご自分とそれを認識する人間のために神様は用意され、法則にそって創られました。

 

人間には、大きくわけて2種類にわけられます。

 

現実である神様の子孫になり、事実を認めて、善をするしかないことをするしかないことを選ぶ人間

現実を否定し、感情的になり、欲望深く、神様に逆らう悪魔の子孫になることを選ぶ人間

 

この2種類です。

 

前者は、世界を壊すことは、完璧ではないですがしません。

後者は、世界を壊す確率を高めて、いつかは破滅します。

 

前者をどれだけ多くするかで、人間社会も、世界も天国に近づけることができるようになります。

後者が増えれば増えるほど、悲劇や悲しみは、増大していきます。

 

天国とはどういうところなのか>>

 

みなさんは、どちらを選ぶのでしょうか。自分ではなく、神様に従う側なのか、自分という我を求めて破滅していくのかです。

お金や地位、名誉があっても、人はそれらがあればあるほど、恐怖にかられていきます。偶像だからです。

世界一の金持ちになっても、その心は恐怖で満たされます。それが正当性のあるものから、アブラハムのように与えられているのであれば、幸せですが、不当なもので得た利益は、その人の人生を恐怖にかりたてるのです。自分が悪だと知っている人間は、他人も悪だとどうやっても見えてしまうからです。

 

みなさんが、自由意志によって何を選び取るのかに関係なく、神様はすでに完成されています。

イエス様が十字架刑にかけられたその時に、すでに勝利されているのです。

 

人には、人権はありませんでした。所有物として多くの人間が利用されてきましたが、それは人間の罪による恐怖のせいでもありました。支配者によって罪があり、完全にコントロールできない人間は恐怖の対象だったからです。人権など与えたら、尚更コントロールできなくなるからです。

 

ですが、現代は、世界中の人間は、人権を理解するようになり、それが当たり前かのように考えているひともいるほどです。

それに至ることができたのは、聖書のおかげであり、イエス様が十字架刑にかけられたおかげなのです。

 

罪をゆるし、愛することで、悲しみの連鎖を断ち切り、恐怖ではなく、希望によって発展し、人間の知識も規制緩和されはじめたのです。

まだまだ、天国にはほど遠いですが、間違いなく、過ちから学び続けているのです。

 

中途半端な不完全な人間を選ばれたのは、まさに神様であり、世界そのものを認め従う側の人間によって、世界を支配し、平安へと導く絶妙な選択だったのですね。天使でもなければ、動物でもなく、人間だったのです。

 

人によっては、生まれる前に死んだ子もいたことでしょう。ですが、母親の中では生まれたのです。生まれなければ、無で終わるところでした。その子は、第二の天国、第三の天国に入ることでしょう。

 

この世界に存在した、それ自体が、まさに奇跡なのです。能力ではなく、あなたの存在そのものが、すでに祝福なのですね。

また、それを認識し、感謝して、神様を「ある」と認識することは、神様にとっての世界の創造の理由だと考えられるのですね。

不完全な人間のために、完璧な神様であったイエス様が身代わりになり、血を流されたことで、未来にわたって、世界は、完成されたのです。

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