科学による不正

知識が多いことは良い事ですが、人はそれに溺れてしまう場合があります。

ボディビルダーという筋肉ばかりの体になり、筋肉だけを追い求めて、増量していくと人は、柔軟な動きができなくなります。

ですから、ボディビルダーというものにも、ただ筋肉をつければいいというものではなく、どれだけ美しい筋肉をつけるのかという見方もあるそうです。

 

このように知識が多くあれば、それだけ素晴らしいと思うのは、この筋肉を大量につければいいという欲望、単純な罠にはまりやすいということです。

 

人は、そこに利益が生まれるのを理解すると、ただ単調にそれを繰り返して、利益を増やしていこうとするのですが、本当にそれが正しいのかを吟味するべきです。

 

意味がなくても、行っていることに満足感を得て、やっているのなら、それは偶像です。

どんどん筋肉や知識など、何かが少しずつ増えていくのは、楽しいと思えるのですが、その罠にはまってはいけません。

お酒は飲んでものまれるなと言われるように、手段を目的にしてはいけないのですね

 

筋肉をつけるのも、知識を増やすのも、目的のためにしなければ意味を失うのです。

1、知恵の欠如

知識という表面的なものを追い求めると、本質をみる能力が欠如していきます。

人は、意識は1つしかないので、何かを考えている時は、他の何かを考えられないのです。

 

例えば、王様や王女様になったイメージをしながら、農民にもなっているイメージを同時にはできません。

 

王族と農民を交互にイメージしているだけで、同時には、考えられないのです。

 

 

ですから、知識という表面的なことを考えている時は、知恵という本質的なことは、同時には考えられないわけです。

 

 

では、その知識という表面的なことをずっと考えて、ただ増やそうとしている人は、どうなっていくでしょうか。

 

知恵が疎かになっていくので、知恵が欠如していくわけですね。

 

そして、知識は少ない人は、知恵を増し加えて、生きるために必要な本質に目を向けるので、賢くなっていきます。

 

知識にも目を向ければ尚、良いということです。それはどちらにも言えるのですが、知識がないからといって知識に恐怖する必要はありません。

 

 

わたしは、クリスチャンホームで生まれ育ち、小さい頃から親に質問をしたりするのですが、わたしの母親は、論理的な思考力は持っていても、知識が乏しいので、言葉にして、言い表すことができませんでした。ですが、反面知恵を持って歩むので、正しい生き方を続けます。

 

知識を求めて、わたしが質問すると、それが苦手な母は、思考停止状態になるのですが、知恵があるので、本質から外れず、受け入れようとするわけです。

 

ですが、知識に比重を置いている人は、知恵が欠如していて、右や左にブレるので、気に入らないと不機嫌になったり、質問してくる相手い悪意を見せ始めるのです。力で相手をやりくるめようとするわけです。

 

知識が多いひとは、その場を勝利しているようにみせかけることが出来ますが、それは表面的なものなので、長くは続きません。ですが、知恵がある人は、その場で負けているように見えるのですが、長いスパンでみると、実は正しいことをまるで大岩のようにずっしりと行っていくので、信頼され世を正しい方向へと導いているのです。

 

ですから、なかなか論理的に、語ることが出来ない人も恐れる必要はありません。むしろ、そういう人のほうが、論理的に語っているような人よりも、長いスパンでみると、正しいことをしているので、生産的なのです。

 

知識のほうは、生産的にみえるかもしれませんが、薄っぺらいので、さほど効果はなく、ヘタをすると悪が広がってしまうことに貢献してしまいやすいのです。

 

わたしは、論理的に語る賜物があるようですが、実は薄っぺらいというわけです。

 

論理的に説明できなく、霊的な方や感覚を研ぎ澄ませて生きている人をみると、わたしは感動します。言葉では言い表せない何かをみている人なので、とても興味深いと思うからです。

 

わたしとは違うタイプほど、とても興味深いと観察してしまいますし、尊敬します。男性は女性を女性は男性を興味深いと感じるのと似ているかもしれません。

 

知識だけでよく話す人ほど、わたしの興味は失せてしまいます。沢山の言葉を口から出しても、本質ではないどうでもいいことを永遠と語っている呪文みたいなもので、ひたすら意味のないことを続けているので、それに付き合いたいとは思わないわけです。

 

人によりますが、歳をとっている人ほど、表面的なものが削られ、物静かになっていくように思えます。美や知識などが、欠如していき保てなくなるので、本質をみる時間が増えるからかもしれません。老人は、物静かな人が多いのは、エネルギーが少ないということもあるかもしれませんが、本質をみるようになるからではないでしょうか。

 

まるで、動物や植物に近づいているような、世界そのものである神様と調和しはじめているような気さえ感じさせます。

 

もちろん、老人の中にも、知識をさらに増し加えようと続ける人もいるので、全員とは言いませんが、多くは余分なものを省いていって、生き方の正しさをみせてくれているように思えます。

 

持っている人ほど、その持っているものを無くすことを恐怖して、依存し、間違いをおかしていきやすいです。本質を捕らえられない人ほど、恐怖心は、増えていくことでしょう。

 

悪人は、もちろん、自分のした悪におびえるわけですが、特に悪人でもないのに恐怖しながら生きている人は、うつろいやすい内面を持って、脅えるので、知識や依存症になりやすいものに、手を出しやすくなると思われます。

 

ですが、表面的なことをいくら増やしていっても、それらの恐怖は打ち消せません。そういう人には、この世の説明書であり、この世の本質である聖書をより勧めたいと思ってしまうところです。

 

ですから、知識がなくても、生きているうえで、しっかりと地に足をついて、右や左に揺れ動く不安定な精神状態じゃないのなら、その人は知恵があり、愛や正義を優先して実践できているので、知識が無いと恐怖する必要性はないのですね。

 

知識も、知恵もどちらも、持っていることが一番望ましいことですが、それぞれに神様から与えられた賜物は違うので、自分のペースで成長していけばいいのです。

 

知識がないのなら、知識を増やす時間を増やせばいい。

知恵がないのなら、知恵を増やす時間を増やせばいいのです。

 

どんな人でも、それに1000時間という時間を費やせば、上手になってしまうといいます。ピアノでも、ギターでも、知識の量でも、それに1000時間を費やすのです。時間とともに、慣れていき、慣れればそれが、習慣になり、その習慣が、人格を形成していくようになるのですね。

 

はじめは、どんな人も手探りで、はじめて自転車に乗るように、何度も転んでしまうわけですが、一度コツを掴んでしまえば、どんなものも、それなりに使いこなせるようになるのですね。

 

人と見比べる必要はありません。同じ人間という種類ですが、同じ人間ではないので、体重も違えば、顔の形もちがい、脳も違うので、比べるほうがおかしいからです。あなたのペースで、歩くことです。

無理して、10時間しか費やせないより、無理しないで、ゆっくりと1000時間費やすほうが、上手になるからです。

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