聖書

聖書は、旧約聖書と新約聖書があります。

旧約聖書は、ユダヤ人であり、イスラエル人が信じたユダヤ教徒たちが、断固たる意志を持って、守り続けてきた書物です。

 

新約聖書は、そのユダヤ人であり、イスラエル人の中から生まれた原始キリスト教徒たちが、書いていった書物です。

 

その原始キリスト教徒たちは、旧約聖書を一切手も触れず、旧約聖書をそのまま使いながら、新約聖書を書いていきました。

 

なぜ、旧約聖書に一切手を触れることがないと言い切れるのか?と思うかもしれませんが、それは不可能なのです。

 

なぜなら、原始キリスト教とたちは、迫害されていたからです。ユダヤ教徒からも、ローマ帝国からも迫害されていました。ただの迫害ではありません。命を狙われていたのです。

 

その中でも、もし、ユダヤ教徒たちが大切にしていた旧約聖書に手を出せば、彼らに大義名分を与え、原始キリスト教は、さらに迫害を受け、滅びていたことでしょう。

 

原始キリスト教徒は、何も変えていない旧約聖書を使いながら、新しい新約聖書を書いていったのです。

もちろん、その新約聖書も、嘘やデタラメは書けませんでした。ユダヤ教徒たちは、原始キリスト教徒たちのあら捜しをしていたので、その発言もそうですが、文字として、残した証拠である新約聖書は、恰好のエサだと思って虎視眈々と調べていたのです。ですが、原始キリスト教徒たちは、裏付け、証人などを背景にしながら、新約聖書を完成させていったので、決定的な迫害できる証拠を獲ることがユダヤ教徒は出来なかったのです。黙示録などの何が言いたいのか分からないような書物は、原始キリスト教が安定しはじめたかなり後ほどから書かれました。

 

このような厳しい時代に、本当のことを書いて証人もいるのに、それでもあら捜しをしてくるような時代だからこそ、原始キリスト教徒たちは、新約聖書の最初の4つの「福音書」に対しては、ものすごく神経をすりへらして、書き、また利用してきたのです。

 

今回は、その原始キリスト教徒たちが、命をかけて、書き上げた4つの福音書についての話です。

1、福音書とは

新約聖書の最初に書かれた4つの福音書は、主イエスキリストの歩まれた人生について、書かれたものです。

 

その4つすべてが、主イエスキリストの人生の内容なのです。

 

なぜ4つも必要だったのでしょうか?

 

冒頭でも書きましたように、ユダヤ教徒は、良くも悪くも熱心でした。新しい思想を教えはじめた原始キリスト教を認めていなかったのです。

原始キリスト教徒のいのちを狙っていて、何人もの人々が殺されていきました。彼らが最初に殺したのは、洗礼者ヨハネでした。

洗礼者ヨハネは、ユダヤ人の中でも有名になるほどの預言者でした。彼は生涯をかけて、主イエスキリストが現れるという伝道を続けていました。

 

旧約聖書を信じていたユダヤ教徒たちは、救世主伝説を信じていました。

偉大なる王であったダビデ王のような王様が現れ、ユダヤ人の国を復活させ、世界を支配し、平和を造り出してくれると信じたのです。ローマ帝国をも倒してくれるような偉大なる王を待ち望んでいました。

そこに、洗礼者ヨハネが出てきて、救世主が現れるという話が広まり、ユダヤ人たちは、そのヨハネからバプテスマという水で新しくされる儀式を施されていきました。洗礼者ヨハネは、ユダヤ教徒でしたから、特に迫害する由縁はありません。救世主伝説をまた広げてくれる存在として、認められていたわけです。

 

ユダヤ人の中では、かなり有名な人物として、広まっていました。洗礼者ヨハネは、偉大な預言者エリヤだという人もいたほどです。

 

人々に洗礼を授けて、新しく生まれ変わるという教えを広げていたヨハネの前に、現れたのが、主イエスキリストでした。

 

イエス様は、洗礼者ヨハネの手で、洗礼を受けに来たのです。

 

洗礼者ヨハネは、すべての人を新しくされる方、主イエスキリストが目の前に現れて、自分がイエス様に洗礼を授けることに疑問を口にしたのですが、イエス様は、洗礼者ヨハネの手によって洗礼を受けられました。

 

すると、天が開け、神の霊の鳩が飛んで来て、イエス様の体に下って行ったのです。

そして、神様の声が天から聞こえました。

「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ」

 

その後、仕事をやり終えた洗礼者ヨハネは、痛烈にユダヤ教を批判しはじめました。ユダヤ教は、宗教組織になってしまっていて、腐敗も多く存在していたからです。彼は、殺されました。

 

多くの人々が、彼の死を悲しみましたが、彼の意思は、彼が尊敬した主イエスキリストとともにあり、人々は、主イエスキリストに期待を持ち始めたのです。

そのため、多くの人々が、主イエスキリストの人生に注目していたのです。

 

ですから、証言や証拠、大勢の人々が裏付けとなることができました。洗礼者ヨハネが、イエス様が来る前から有名ではなければ、イエス様はこれほど、注目される存在にはならなかったはずなのです。

 

この頃は、まだ、新約聖書を書いた弟子たちですら、イエス様とともには、いなかったのです。

ですが、それを福音書で書くことができたのは、それだけの大勢の証言、裏付けがあったからでした。

 

福音書は、マタイの福音書・マルコによる福音書・ルカによる福音書・ヨハネによる福音書の4つでした。

 

4つも福音書を書くということは、人間の目からみれば、愚かなことでした。

 

少しでも、その内容に食い違いがあれば、殺されてしまう証拠となるからです。

 

それでいて、それぞれの弟子たちの目、または調査した内容、書き方は、バラバラでした。内容は4つ一致しているのに、文章力も違えば、イエス様をみている目線も違っていたのです。

 

「歴史」という学問があります。学校宗教団体では、この歴史という学問に、答えを固定して、点数をつけていますが、歴史は1つではありません。

 

例えば、あなたは、親からみたら、子ですが、こどもからみたら、親です。祖父からみれば孫です。

では、どれが本当のあなたなのでしょうか。

 

どれも本当のあなたなのです。

 

親からみた、あなた。子からみたあなた。祖父からみたあなた。3つとも違うことを言いながら、本当のあなたを認識しているのです。

 

1つの時代に何人の人がいたのでしょうか。ある人は、Aという見方をして、ある人はBという見方をします。どちらも、その時代にいた人間の考え方です。

 

歴史は1つではないのです。ですから、より多くの「見方」から精査されて書かれたものは、本当の歴史書としての価値がものすごくあるのです。

 

それが、「福音書」です。

 

いのちをかけて、書き上げた福音書は、ただの書物ではありませんでした。このように歴史書としても、ものすごく価値がある存在なのです。

 

それでいて、その4つとも、内容が一致してしまうという不思議なものでした。もちろん、命がかかっているわけですから、かなりの精査がされたのではと憶測は出来ます。

 

ですが、証言から書かれていたりするので、イエス様の言葉、言い方も少しずつ違っていたりします。内容は同じでも、まったく同じ言葉を覚えている人などいないからです。

 

福音書を書いた弟子の中でも、ルカは、医者でした。医者とは学者のことであり、学者目線で、あらゆる証拠を背景にして、書かれたのが、ルカによる福音書です。それとは真逆の位置にあるのは、ヨハネの福音書です。

 

このヨハネは、黙示録を書いた弟子で、とても霊的にすぐれた預言者とも言える存在でした。

 

ヨハネの福音書を読むと分かりますが、冒頭から殺されるのではないのか?と思われるような内容から書き始めています。

 

ですが、このヨハネの福音書は最後に書かれた福音書で、原始キリスト教がそれなりの理解が人々に広まっていたからこそ、書けた福音書です。

いくら、ユダヤ教やローマ帝国は迫害し、原始キリスト教徒を殺しても罪にされなかったとしても、そんな無法地状態がいつまでも続けられるわけがありません。秩序や平和を与えるからこそ、帝国は帝国として、認められるのであって、殺人をいつまでも容認していくほど、愚かではないからです。とは言えかなりの長い間、原始キリスト教は、迫害を受けつづけていました。信者が増えたことで、それを乗り切ったのです。

 

ルカによる福音書は、学者という目で書かれた福音書であったら、ヨハネの福音書は、預言者的な目線で書かれた書物です。

 

これは、本当に人が書いたのか?と旧約聖書などを知っている人が読むと思えてきてしまうほどのもので、これは神様がヨハネというえんぴつを使って書かれたと思わせてくれるものでもあります。その内容は、とても深いのです。どれも深いですが、聖書全体の一致をもたらしている書物だとも言えるのです。

 

どちらかと言えば、わたしはルカのようなタイプです。ですから、預言者的な霊的アプローチをしてくれる人を尊敬します。

神様と直接的なかかわりを持って行動できるタイプですね。わたしのようなタイプは間接的な証拠、裏付けを持って、神様とのかかわりを持ちますが、一気にそれを飛び越えていきながらも、深いわけです。

 

そして、こちらが、その内容を精査して、裏付けと一致するのかを調べると、一致してしまうわけです・・・・。

こういった方たちは、クリスチャンの中には多く、普段から牧師のように説明している立場でもないので、なかなか理解されずらい方もいますが、その信仰心と内容は本物で、裏を取って行くと正しいことが多いので、その時は、恐怖といいますか、神様の偉大さを感じてしまう瞬間でもあります。

 

無神論者は無神論という宗教を心から信じ込んでいるので、一方通行的な観方しか受けいれようとはしません。本当の学者なら多角的な目線で、無神論という宗教は置いておいて、色々な方面からのアプローチでその言葉を理解しようとするのですが、信じ込んでいる人は感情的に、否定的になります。ですから、この両者は対立してしまいやすいのですが、だからこそ、面白いとも思わされます。

ヨハネの福音書はまさにそのような書物だとも言えるでしょう。もし、最初にこの福音書が書かれていたら、真っ先に殺されていたかもしれませんね。

 

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