聖書

現在、わたしたちの世界は、朽ちる世界です。

 

例え、鉱物であっても時間とともに削られていきます。岩であっても風にあたって少しずつ削られているのです。

 

人は、生まれるのですが、生まれたからには死ぬというものが常識です。

 

100人いれば100人、100%いつかは死んでしまいます。自然界をみても、植物も動物も昆虫もすべての生き物は、いつかは朽ちてしまいます。

 

人はこの現実を知っているので、追い込まれて生きているようです。死があるから死を恐れ、自分が死ぬよりは相手を手にかけたり、生き残ろうとしたり、生きるために競争をしたりしています。

 

なぜ神様は、朽ちる世界にわたしたちを置かれたのでしょうか。

 

聖書をよく読めば、神様は、朽ちる世界を創られてはいないのです。

1、世界は朽ちない世界だった

聖書を読むと疑問に思えてしまうことが書かれています。

 

例えば、創世記で神様は、善悪の木の実を食べると「必ず死ぬ・きっと死ぬ」と言われています。「きっと」という言葉は、必ずという意味です。

蛇は、エバに善悪の木の実を食べても死なないと言いました。

 

エバとアダムは、善悪の木の実を食べた後、死んだのでしょうか?それとも生きていたのでしょうか?

 

実は、アダムとエバは、善悪の木の実を食べても生きていたのです。

 

これはおかしいと思わないでしょうか。神様は、必ず死ぬと仰られたのに、蛇のほうが正しいことを言っていたかのようです。

 

ですが、これはよくよく考えると神様が正しく、蛇は歪曲して語っているだけなのです。

 

この疑問に対してよくキリスト教では、肉体のことではなく、霊のことだと言う人がいます。

わたしもそれも正しいと思います。悪を知らない時の人間の霊と悪を行ってしまった後の人間の霊は、違うものへと変わってしまった。以前のものは死んでしまったとも言えるでしょう。

 

ですが、それは肉体的にも言えることなのです。

 

創世記をよく読むと、人間が悪を入れるまでは、世界が朽ちるものだという表現が1つもありません。産めよ増えよ。地を満たせ。という増えていくものではあっても、減るものだという世界観が書かれていないのです。

 

もし、朽ちる世界だったのなら、神様は、世界をみて「非常によかった」とは思われなかったことでしょう。

 

死ぬことはなく、永遠であることが当たり前であり、時間の概念さえも永遠が当たり前だったのですね。

 

ノアの大洪水で世界が激変したことは、科学的にも現実の出来事だったことは、疑いようがありません。

創世記の時代の人たちはなぜ長寿なのか>>

 

なぜそこまでハッキリ言えるのかといえば、恐竜の化石が実際に世界中から発見されているからです。

恐竜の化石が巨大だということを否定する人はほとんどいないでしょう。その巨大な骨まで成長したということは、多くの巨大な生き物が、巨大になるまで、食べ物が豊富に存在していたという証拠です。

 

あれだけの巨大な生き物たちが生きていた時代と今の時代がまったく同じ環境だと考える人は、少ないということです。

 

世界は劇的に変わっているのです。

 

アダムも1000歳近く生きたと聖書には書かれているのですが、それを読むと現代人は、宗教にありがちの空想のように感じてしまいます。現代では、120歳ほどが人間の寿命だという「当たり前・常識」が存在しているからです。

 

ですが、現在の地球環境とまったく違っていた世界だったとしたら、実は聖書は正しいことを書いていたということになるのです。現代人でも理解できないことを聖書は事実を書いていたということになるのです。

 

現代人に「スマホ」と言えば通じますが、200年前の人に「スマホ」と言っても通じないように、人は自分たちの脳に入り込んでいる情報を基準として、ものごとを見てしまっているので、その頭の中の情報以外のことを言われると、理解できず、不思議なことだと思い込んでしまうのですね。

 

そして、世界が激変したのは、ノアの大洪水だけではなく、アダムとエバが悪を選んでしまった時に、激変してしまったのです。

 

聖書には、このように書かれています。

 

創世記3章17・18節

更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、あなたは野の草を食べるであろう。

 

アダムが食べるなと言われた木から取って食べたので「地はあなたのために呪われ」

 

と書かれているのです。しかも、存在しなかった、いばら と あざみ まで生まれ始めました。

 

わたしたちの今の時代は、悪がすでに入り込んでしまった後の世界ですから、死が存在し、朽ちる世界となっているので、「あなたは一生、苦しんで地から食物を取る」といった世界になっているというわけです。

 

競争しなければいけないのも、死を恐れて生き延びようと必死になるのも、アダムが悪を選んだ瞬間に決定され、その後、アダムのために、世界が呪われた世界、朽ちる世界になってしまったからなのです。

 

アダムとエバは、死ぬことのない世界が、当たり前の天国から死ぬことが当たり前となった世界へと追放されたということです。

 

これはどれほどのショックだったのか、測り知れません。

 

わたしたちは、生きていますが、毎秒のようにわたしたちは死んでいます。古い細胞が死んでは、新しい細胞が復活するかのように生まれ、その不思議なサイクルが120年間という寿命を可能にしているのです。細胞が復活しなくなると体は朽ちていくわけです。老化ですね。

 

ですが、アダムとエバは、このサイクルですらなかったということかもしれないのです。細胞は死ぬという常識さえも存在しなかったのなら、細胞が死ぬようになったアダムたちは、「必ず死ぬ」ことになりますし、死に続けているのです。

 

動物が死ぬのも、植物が死ぬのも、人間が悪をして、世界が激変した後のことで、人が悪をしたことで、地が呪われ、世界が呪われ、朽ちる世界になってしまったというわけです。

 

そして、神様が「非常に素晴らしい」と言われた世界は、朽ちる世界ではなかった状態のことを言われていたのであって、朽ちる世界になったことは、残念なことだったので、またその世界を復活させるために、用意されていたのが「いのちの木」であり、「救世主」なのです。

2、いのちの木とイエスキリスト

エデンの園の中央には、2本の木が存在していました。1つは善悪の木です。そして、もう1つがいのちの木でした。

 

聖書を読むと面白いのは、善悪の木の実を人間が食べるまでは、このもう1つの木「いのちの木」は、注目されていなかったということです。

 

なぜいのちの木は、突然注目されるようになるのでしょうか。

 

それは、すでに死なない世界を神様は与えられていたからです。

 

朽ちない世界であったのなら、いのちの木は、注目する必要はありませんね。

 

ですが、人に悪が入り込み、罪が増し、その罪が死を持って来た後なら、いのちの木は、もの凄い意味を成すのです。

 

聖書の神様、本当の神様は、未来をみることができることを預言で証明し続けてきました。過去・現在・未来を同時に生きられている神様は、世界に悪が現れる前から獣を造られています。獣とは忌み嫌われる存在であり黙示録でも悪側のように描かれますが、この時代の獣はそういうものではなく、悪が入り込んだあとに、作用するために神様はすでに用意されていたのです。いのちの木も未来を知られている神様は、すでに用意されていたということですね。

肉食動物はなぜ存在しているのか>>

 

また、朽ちないいのちを手に入れることができる偉大な存在、いのちの木として、注目されるわけです。

 

そこで神様は、悪が入り込んで死ぬものとなってしまった人間が、いのちの木を取って食べてしまわないように、いのちの木をエデンの園とともに、封印されたのです。

 

そして、神様は、アダムとエバに試練や苦難というものをプレゼントしました。悪を行えば、破壊になり、死に至るという試練を与えることで、人が悪を増大させないようにブレーキを与えられたのです。

 

悪をしても祝福され続ける世界なら、人は悪をやめようとはしなくなるからです。

 

死を与えたのもまさにそのためです。罪をすれば死ぬという結果を与えたのは、悪を人が行わないようにするための神様の愛なのです。

 

神の愛とは>>

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人間が自分の自由意思によって悪を選んだ結果、試練が与えられるようになり、朽ちる世界になったのです。

朽ちる世界で生まれ育ったわたしたちには、永遠という価値観や朽ちない世界は、想像ができません。現代の価値観、同じ世界の環境だと思うと聖書を読むと、矛盾しているかのように思えますが、「史実は小説よりも奇なり」ではありませんが、事実が不可思議に思えてしまうのですね。

 

進化論という宗教を心から信じていれば、事実が不可思議に思えるようになり、宇宙人とか意味不明な存在でミッシングリンクを穴埋めしようとしはじめますが、進化論自体が、不可思議だから、事実が不可思議に見えているだけなのです。

進化論の正体 嘘と真実>>

このようにわたしたちの脳が汚染されていたら、世界が汚染されているかのようにみえてしまうのですね。

 

ですから、わたしたちは、今のわたしたちの世界の常識だけで考えるのではなく、その常識を疑う必要があるのです。

 

神様は、朽ちる世界を与えられただけではありませんでした。アダムとエバからすれば、まるで地獄の一歩手前のような世界に追放されたように感じたかもしれませんが、またエデンの復活をなす預言をアダムたちに神様は与えたのです。

 

それが救世主伝説です。

 

女の子孫から蛇(悪魔)の頭を踏み砕く存在が生まれるという預言でした。

 

アダムとエバは、自分たちの息子カインがその救世主だと思っていたかもしれません。ですが、救世主は、カインでもなければ、殺されてしまったアベルでもなかったことに気づき、自分たちの子孫から子が生まれるたびに、この子が救世主なのか?と伝承を伝えていったことでしょう。

 

そして、いつかは、エデンの復活することを待ち望んだのです。

 

世界中の宗教に救世主伝説があり、それらがとても共通点が多いのもそのためで、その救世主、処女マリアから生まれたイエス様こそ、世界中の人々が待ち望んだ救世主だったのですね。

 

すべての宗教を回復し、すべての世界をエデンへと復古させていく存在、それがイエス様であり、いのちの木だったのです。

 

聖書には、このように書かれています。

マタイによる福音書22章30-32節

復活の時には、彼らはめとったり、とついだりすることはない。彼らは天にいる御使のようなものである。また、死人の復活については、神があなたがたに言われた言葉を読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』と書いてある。神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」。

 

人はめとったり、とついだりすることがなくなり、御使いのようになるのです。そして、今とは違う別の肉体を与えられます。霊的な体ではなく、新しい死なない体・永遠が当たり前の体を与えられるのです。まさに最初のアダムとエバのようです。

 

ルカによる福音書24章38-49節

彼らは恐れ驚いて、霊を見ているのだと思った。そこでイエスが言われた、「なぜおじ惑っているのか。どうして心に疑いを起すのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ」。〔 こう言って、手と足とをお見せになった。〕彼らは喜びのあまり、まだ信じられないで不思議に思っていると、イエスが「ここに何か食物があるか」と言われた。彼らが焼いた魚の一きれをさしあげると、イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた。それから彼らに対して言われた、「わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうであった。すなわち、モーセの律法と預言書と詩篇とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する」。そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて 言われた、「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらの事の証人である。見よ、わたしの父が約束されたものを、あなたがたに贈る。だから、上から力を授けられるまでは、あなたがたは都にとどまっていなさい」。

 

霊ではなく、肉や骨がある死なない体、最初のアダムたちと同じなのか、または似たような体なのかを与えられるのです。そして、神様はそれが当たり前のものとして、人間に与えられていたのですが、その祝福を人間が自分たちの自由意思で放棄したのです。

 

迷い続けやっとたどり着いたのが、イエスキリストなのです。

 

苦しみや競争をしなくてもよくなる世界へと現実にも与えられ、それは第二の天国となるかもしれません。

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そして、聖書には、こうも書かれています。

黙示録21章1-7節

わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた、「書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。そして、わたしに仰せられた、「事はすでに成った。わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終りである。かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。勝利を得る者は、これらのものを受け継ぐであろう。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。

 

変わるのは、人だけではありません。世界も変わります。新しい天と新しい地が与えられ、悲しみや苦しみ痛みなどは、すべてぬぐいさられるのです。死はありません。その時には、それらはすでに過ぎ去ったものとなるのです。

 

神様は、人間に完璧な世界を与えられました。天国であるエデンです。人には死もなく苦しみや悲しみもありませんでした。ですが、人はそれを自分の意思で放棄してしまい罪を世界に呼び込んでしまったのです。

 

はじめであり、終わりである神様は、はじめから人間に素晴らしい世界を与えられ、そして、最後にはまたその世界へと復古させていってくださるということです。

それは霊的な第三の天国だけの話ではなく、肉体がありながらの話なのですね。

 

罪の報酬は死です。と聖書は教えています。初めから朽ちる世界、罪の報酬の死を神様が与えられていたわけではないということです。

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