聖書

わたしたちは、男と女がいて、はじめてこどもを作ることが出来ます。

 

それを何回も続けて、今のわたしたちが続いているので、それを信じて、それを常識として、考えます。

 

ですが、聖書には、処女マリアは、まだ結婚もしていないのに、こどもを宿し、イエスキリストを生んだということが書かれています。

 

これを信じられないと断言するような人が少なからずいますが、本当に処女懐妊は、存在しえないのでしょうか。非論理的だと断言できることなのでしょうか。

 

 

1、処女懐胎が虚言ならなぜその虚言にいのちをかけたのか

聖書には、マリアは神の霊がお腹に宿り、イエスキリストが生まれたと書かれています。

 

イエスキリストは、旅を続け、途中何度か母親のマリアと会うのですが、まるで他人に接するような発言ばかりをしました。

 

マリアにとってはそれはショックだったとは思いますが、なぜイエス様は、マリアを遠ざけるような発言ばかりを言ったのでしょうか。

 

もし、聖書が正しくイエス様は人間として生まれたのではなく、神の霊から生まれたのであれば、マリアの子ではないので、そのような態度を取ったのかもしれません。

 

 

これらはただの状況証拠であるだけで、それで正しいことだとは言えないのですが、何かをするということは、それには何かの理由があるということです。

 

連続殺人犯は、人を殺めるという行為をするのも、その人の何かの原因があったそれを信じて行っているわけです。

 

良い事をするにしても、悪いことをするにしても、善悪関係なくただ動いただけにしても、そこには必ず理由があるのです。

 

「テレビをみるために」テーブルの上のリモコンに手を伸ばす。

 

といったように、結果があれば原因があるのです。

 

 

イエスキリストが生まれた原因は、マリアとヨセフによる原因だったのか、それとも神の霊がマリアのお腹に宿ったことが原因なのか、どちらなのでしょうか。

 

後者なら、マリアは正しい女性ですが、前者ならイエス様とケンカでもしていたの?と思えてきます。

 

他宗教の方、無神論者からいえば、それ自体も、作り話だというかもしれませんが、作り話を勝手に書いて出せば、当時の原始キリスト教は、殺されてしまう時代だったことを考えましょう。

 

正しいことを言っても殺されるほどの弾圧をユダヤ教からもローマ帝国からもされていたのです。

 

彼らのいのちをかけた「行動を起こした結果」は、ただの空想であったのでしょうか。

 

殺されるかもしれない危険をおかしてまで、弟子たちは、4つの福音書を書き上げたのでしょうか。

 

彼らが生き残るすべは1つしかありません。事実をそのまま書いて、その根拠になる人たちの証言などから書き上げていくことです。

 

そうでなければ、殺されてしまうからです。

 

そのような危険をおかしてまで、なぜ空想のような虚言をいう必要があるのでしょうか。わたしが嘘をつくのなら、ローリスクのものを選びますが、原始キリスト教は、なぜわざわざハイリスク、ローリターンの処女解体などを伝え続けたのでしょうか。

 

これが虚言なら、バカとしか言えませんが、発想を変えれば、損をする損をしないの私利私欲、打算ではなく、事実だったから書いたにすぎないということになります。

 

 

イエス様のマリアに対する態度や原始キリスト教徒が、いのちまでかけた、行動の原因は何だったのでしょうか。

 

いのちをかけて、ローリターンの嘘が言えるのでしょうか。

 

もし、この時代にわたしが原始キリスト教徒で意見言える人だったら、マリアの処女懐胎は、本当のことだけど、それを挙げ足を取って理由にされて殺されてはいけないから、その部分は、誤魔化すように書いてはどうかと意見したかもしれません。事実だからといって、書物に書いてのこせば、それは証拠にあげられるわけですから、怖くてしょうがないからですね。

 

ですが、福音書に書かれていることがすべて実際に起こったことだったのなら、ここは曖昧にして書くのではなく、ハッキリと処女マリアによって生まれたことを怖がることなく書くしかなかったのではないでしょうか。そう考えながら福音書を読むと、よくもまーその時代に、4つも書かれましたね・・・・と称賛する心が生まれてきます。

 

新興宗教を作りたい!という欲望からの虚言だったとしたら、それでも凄いな・・・・と思わされます。いのちをかけて嘘をつく勇気はわたしにはありません。逃れるために嘘をつくのなら理解できても、追い込まれるために嘘をつく勇気はありません。

2、霊は存在するが、計測はできない

聖書は、神の霊が処女マリアのお腹に宿ってイエスキリストが生まれたというが、そもそも霊なんてあるのか?という話になります。

 

霊はあるのでしょうか。それともないのでしょうか。

 

霊は、重さもなければ、視覚で確認できるものでもないので、霊自体を測定したりすることはできません。

 

だったら、やはりないのではないかと言われるかもしれませんが、それでもあるとわたしは思います。

 

なぜなら、わたしたちが、体を動かしているからです。

 

 

人間は、脳に流れる電気信号によってシグナルを送り、手足を動かしています。

 

 

もし、これがただの電気信号で、偶然起こる出来事なら、どうして、あなたやわたしは、的確な体の動かし方をして、生きているのでしょうか。

 

目の前に、えんぴつがあったとしましょう。

 

あなたは、心で、このえんぴつを使って、紙にひらめいたアイディアを書き残そうとします。

 

ですが、電気信号が、もし偶然行われているただの信号なら、あなたは、心でそのえんぴつを持とうと思っても、足が動いてしまったり、突然走り出したりしてしまうわけです。

 

偶然動いているのだから、そこには、意味など必要ないからです。

 

ですが、現実はどうでしょうか?

 

パソコンの画面に、赤色のボタンと白色のボタンが、あったとしましょう。

 

 

わたしが、「赤色のボタンをマウスを移動させて、クリックしてください」と言えば、あなたは、その通り、クリックできるのです。

 

逆に、お前の意見なんて聞かねーよ!といって、白色のボタンを押したとしても、それはあなたが、考えた心で決定した通りに、あなたの体が動いた証拠です。

 

 

なぜ、わたしたちは、思った通りに、体が動かせるのでしょうか。

 

なぜ、料理を作ろうと、ピーマンを選んで、切ることができるのでしょうか。

 

偶然なら、ピーマンを取ろうとしたけれど、切っているのは、ニンジンだったとか、料理するつもりが、掃除をしていたとか、ましてや体が動かせないなど、心と体は、別々に反応するはずですが、多くの人たちは、ほとんど100%の確率で、思った通りに、体を動かせるのです。

 

世の中には、その体自体の設計図が壊れてしまっている場合もあるので、動かせないという人も実際にはいるのです。

 

ですが、どうして、ほとんど100%の人が、それらを出来るのでしょうか。

 

 

それは、電気信号は、ただ流されているのではなく、意味を持ったものによって流されているからです。

 

霊です。

 

わたしも含めて、動物も、霊があるから、適切に体を動かし、目的に向かって行動できているのです。ただ、お腹がすいたから食べるというだけでも、もの凄い画期的なことなのです。

 

「意味なんてない!」という人がいますが、その言葉に「意味」とつけているだけで、意味があることを証明しているのですね。

 

少し話題にあがっているAIという人工知能がありますが、これらAIがどれけ発展を遂げようと、はじめのスイッチを押すのは、霊を持った人間です。

 

霊と体はつながっていて、恐ろしく精密に連動されているのです。

 

霊が無い人は、体を動かすこともできなければ、動かそうともしないということです。偶然電気が脳に走って、ちょっと動くことがあっても、霊がなければ、自由自在に動かせないということです。

 

それらは当たり前だと思っているかもしれませんが、実は、もの凄いことで、自分には意味がないと思っていても、事実からすれば、意味もなくその素晴らしい能力があるわけがないことが分かるのです。

 

赤色のボタンをクリックできるそのこと自体が、本当はあり得ないのに、ありえているからです。

 

霊は測定できませんし、確認もできなければ、触ることもできませんが、わたしたちが的確に体を動かしている事実が現実になるのだから、霊はあるのです。

 

では、ほとんど100%の人が、その霊を持って、脳に電気信号を流しているのに、霊がなにも作用されず、存在もしないと言い切れるものでしょうか。

 

 

実際に、みなさんは、的確に体を動かしているのだから、その霊が何も作用させないと思うことのようが、おかしいのかもしれないのです。

 

 

ましてや聖書は、神様の霊と書かれています。

 

人の霊が、処女マリアに宿ったのではなく、無から有をつくり、この美しすぎる天国のような世界を創られた神様の霊が、臨んだのです。

 

何が起こってもおかしくはありません。

 

 

鳥は、たまごから生まれますが、では、最初は、たまごが先でしょうか。それとも鳥が先なのでしょうか。

 

わたしたちは、学校で、大量の精子が、卵子と結びついて、偶然、あなたが存在していると教えられていますが、それは、体にすぎないのではないでしょうか?

 

どの体を与えられても、わたしたちの宿る霊は、神様から与えられたものだったのなら、あなたがどのような体であっても、同じ霊が宿るのかもしれないのです。

 

実際は、霊と体は、一体なので、体の反応から霊が構築されていくと思われますし、霊自体も、悪に汚染されている場合もあると思われます。

 

体に原罪があるように霊にも原罪があり、それに影響されているというわけです。

 

ですが、最初に選ばれている霊は、1つなのかもしれません。

 

わたしたちひとりひとりも、神様によって許可され、その霊が生まれるのをゆるされて、適切な動きを体で出来るのなら、神の霊によって人間の悪とは切り離されたイエスキリストが生まれることもあるのかもしれません。

 

イエス様は、アダムの前からご自身の体を持って、園を歩かれていました。マリアのお腹で、その体を再構築しただけなのかもしれません。

 

これはただの空想ですが、イエス様は、まったくマリアやヨセフとは違って似ていなかったかもしれません。

 

さすがに日本人のような黄色人種だったとは思います。白人種だったという話だと、そこを触れずにユダヤ教徒が黙っているとは思えないからです。

 

ほとんど100%の確率で、霊を70億人に与えているという不思議な現実をみれば、処女マリアからイエス様が生まれたという不思議も、未来では、当然のこととして、受け入れられるかもしれません。

 

空を飛ぶなんて、不思議なことなど起こらないと信じていた時代もあり、それがその時代の人間の限界だったのです。ですが、今では空には飛行機が実際に飛んでいるのです。

そして、それを疑う人も少ないのです。

 

わたしなどは、小さい頃から鉄の塊が空を飛ぶことが理解できず、飛行機に乗るが怖がるという人もいるでしょうけれど、多くの人は、何気なく飛行機を使っているのです。

 

今は不思議だと思えているだけで、本当に不思議なことなのかは、未来では分からないのです。

 

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