聖書

神が存在しているということを、普通の人なら一度は考えたことがあるとがあると思います。

ですが、そのほとんどは、表面的な神がいるということだけを考えて、それで終わっていることでしょう。

 

人は、自分の脳の中にある情報を使って世界を見ようとしてしまうので、その表面上だけの神への理解で終だと本気で思ってしまっているのです。

 

知っている解っていると思っているだけに、それで終わってしまっているのです。

しかし、神を知るということは、そのような小さなことではありません。

 

この世界のすべてということであり、これを理解しなければ、何をしても無価値で、無意味で、ただ都合よく解釈しているだけで終わってしまう「空」になってしまうのです。

聖書の空の教え>>

色々な問題を解き明かす、最初の鍵であり、奥義なのです。

1、解っているという壁

わたしは生まれた時から教会に生き続けてきたクリスチャン家庭で生まれ育ちました。18年間、毎週のように教会にいっては、「神がいる」と聞かされ続けてきました。無神論者よりもその言葉を聞く数は、圧倒的に多かったはずです。

ですが、本当に神を知ったのは、18歳の時でした。

 

それまで、神がいるという概念を知っていると思っていたのですが、実は知らなかったのです。

 

これがどれほどの壁なのかということです。

 

人は、脳にインプットされた情報によって物事を把握します。日本人として、生まれ育ったのなら、日本語で物事を考えてしまうように、これに抗うことは、難しいのです。

 

わたしは教会にはいっていましたが、神がいると信じ込んでいる人と神がいないと考える人がいるといった認識で、親も神がいると心で思い込んでいると長らく考えていたのです。

思い込んではいても、それは悪いことではないと考えていました。

宗教は、人に道徳を教えるもので、信じること、思い込むことで、優しい心を保てるようになる。だから、宗教はいいものだと理解し、教会に行き続けていたのです。

 

長らく教会にいっていたので、教会のひとたちがとても優しいく、平和的だということは、疑いようもない事実だったからです。

これはクリスチャンだけではなく、特に信者さんたち、心で神を信じている、信じたいと思っている人たちは、他の宗教であっても、平和的で優しい人格になることをわたしは体験からも分かっていました。

たとえ、オウムであっても、麻原彰晃などの幹部は別ですが、信じ込んでいるひとたちは、とても純粋なので騙されたのです。

このように、色々な宗教を信じる幹部ではないひとたちの存在は、たとえ信じ込んでいるとしても、良いものだといった考え方だったので、教会に行き続けていたのです。

 

要は、神はいない、神とは人間の心の中だけにいる存在だとわたしは信じ込んでいたのです。

 

なぜ、わたしは教会に毎週のようにこどもの頃から生き続けてきたのに、このような考え方になったのでしょうか。

 

一番の理由は、学校宗教団体やマスメディア、国で認められていることが、正しいというロジックにはまっていたということです。

 

 

教会の人たちも正しいが、世の中も正しいと2つ3つ4つの宗教を同時に信じ込んでいたからです。

 

そして、もう1つの理由は、このロジックは、決してわたしだけではなかったということです。

18年間で、何百何千回と牧師などのメッセージを聞かされてきたのに、多くの牧師や教会のひとたちは、このロジックに踏み込む内容を語ったためしがないのです。

これは、「しなかったのか」それとも「できなかったのか」ということです。

 

 

牧師や教会の人たちもまた、同じように、学校宗教団体で教育を受けてきたので、そのロジックにかかったまま、牧師などになって、うまく説明できずに、毎週過ごしているということです。

 

ある牧師は、牧師になっても、神様がいるということを信じていなかったと大胆なメッセージをする人がいらっしゃいました。とても勇気ある告白です。

神を信じていないのに、牧師になる人もいるという事実が存在するのです。

 

学校宗教団体は、現在の世界の支配者層たちの都合のいい情報だけ、または、どうでもいい情報だけをこどもたちの脳にインプットしていきます。

では、その学校の教師は、嘘をついていることに気づいていながら、こどもたちを騙しているのでしょうか?

 

そうではありませんね。その教師は、教師になるべくした学校宗教団体の教育をさらに受けてきて、学校宗教団体の牧師、宗教指導者として、わたしたちと同じく育って来たので、その情報を疑いもせずに、こどもたちに本当のことだと思って、実行しているのです。

テストという数字に固定させたものがありますが、数学ならそれは、あるいは数字に変えることは出来るかもしれませんが、歴史や理科、あらゆる事象は、固定できるほど、わたしたちは、世界を理解していないのです。

 

聖書以外に歴史書などは存在しないと言っていいほど、固定できるものではないのです。

 

人を中心に考えている時点で、もうそれはご都合主義で書かれたものであって、学校教師が、嘘をついている認識がなくて、こどもたちに間違ったことを教えているように、歴史をその人の脳の情報によって正しいと認識して、ひとつの視点で書かれているだけにすぎないのです。

 

昔の人は、命がけの戦いをしていました。1つの情報が、国を亡ぼすかもしれない時代に、文字にして、自分たちの本音を残すと本当に思うでしょうか。

本当のことは、文字になどに残すわけがないのです。ですから、本当のことを話会う時は、小さな茶室で、誰も忍び込めないような空間で話あったのです。茶室で、本当の政治を語り合い、決定していたので、天海などが政治に直結した人物になっていたのですね。

 

そして、表向きには、その茶室の作りは、小さな宇宙が隠されているといった、大きな話にしておいて、本質とは違う問題にして、誤魔化したのです。

 

あんなに使い勝手の悪い小さい空間を作るのは、決して宇宙とか大それた話ではないのです。

 

そして、適当に宇宙とかを表すなど、どうでもいい内容を聞いて、何も知らないひとたちは、勝手に感動して納得してくれるわけです。

 

こんなどうでもいい事ばかりを現代人は、学校宗教団体で大量に教えられて、本質を見抜く力が手に入ると思うでしょうか。

 

日本人がどうしても、日本語で物事を考えてしまうように、小さい頃から国に認められた機関で、大勢のこどもたちと一緒に、脳に埋め込まれ汚染されたこの脳のロジックは、もの凄い根深い壁として、わたしたちを縛り続けているのです。

 

ですから、18年間教会に行き続けても、神がいることを知ることもできないのです。

そして、同じように悩んで迷っている牧師たちも、これらを明確に、打ち砕くことができず、学校宗教団体の教師と同じく、どうでもいい情報ばかりを毎週のように語るのです。

 

そのロジック、そのマトリックス、そのパラダイムから抜け出すことができなければ、「神を知る」ということを本当の意味で理解することは、難しいのです。

知っている理解していると思っているだけに、タチが悪く、本当に「神を知っている人」とは、まったく次元が違うのです。

 

そして、「神を知る」ということを理解するのは、あなた自身であって、わたしがどれだけ語っても、絶対に理解できません。わたしが何を言ったとしても、何を語っても、あなた自身が、それを理解することはできないのです。あなた自身と神様とこの世界がつながったその瞬間は、この記事もまったく意味をなさないのです。

 

そして、あなた自身が、神様とつながったその瞬間に、その意味が解るでしょう。たかが人間が語る言葉ではない、すべて世界が消え去るほどの体験をするからです。

2、神を知る2つの道

神様を知ることは、大きく分けて2つあります。

1つは、論理的にこの世の法則を解明して、現実を受け入れることです。

 

学校宗教団体が教える内容を心から信じてしまうのは、子供のころから、慣れ親しんだ環境や自分を信じたいからです。人は、自分が間違っていることをなかなか認めたがらないのです。

 

人は小さな嘘より、大きな嘘を信じるという言葉があります。

 

ひとりの嘘よりも、複数の嘘。複数の嘘より、集団の嘘。集団の嘘よりマスメディアの嘘。マスメディアの嘘より国の嘘。国の嘘より国連の嘘と大きくなればなるほど、それら大勢が関わっているのだから、間違っているわけがないと信じ込むのです。

 

ですが、国が国民を裏切るのは、今にはじまったことではありません。いつの時代も、国や支配者は、自分たちの都合のいい情報操作によって、民をコントロールしてきました。どうして、現代は違うと言えるのでしょうか。これは人間の歴史では当たり前のことです。

都合のいい情報を脳に刷り込むことで、人はその支配者の都合のいい正義を持ってしまうのです。

 

ですが、すべてそれに収まる人たちでは終わりません。イエスキリストやブッタ、孔子や吉田松陰など、その時代の常識を疑う存在がいて、常にご都合主義の正義と戦い続け、人々はその都度、目を覚まし、本質の正義に立ち戻るのです。

 

カトリックが何を言おうと、地球は太陽のまわりをまわっているように、人が手出しできないもの、人がどう考える、どう思うには、関係しないものには、事実というものが常に存在するのです。

 

その事実の情報を多く脳にインプットすればするほど、世の中をありのままの目、汚染された目ではない目で見えるようになっていきます。

 

すると、行きつくところは、この世界は、あまりにも美しすぎるということです。

全知全能の神様が確実にいる証拠>>

あまりにも、人間の都合のいい環境が、適切に存在しすぎるという事実です。

 

このことから、論理的な人ほど、神の存在を否定することは出来なくなるのです。偶然だというほうがありえないことに突き当たるからです。

 

これを理解すると、あらゆる世界ものの存在が、神の存在を証明しているので、人間の信じる信じないなど関係なく、「認めざる負えなくなる」のです。

 

しかし、これは、頭で理解したという1つのルートであるだけで、その存在全体で、理解しているとは言えません。

 

 

もう1つの神を知る道とは、全身全霊で、神を知る道であり、方法です。

 

これは、わたしたち存在そのもの、霊的にも、肉体的にも、すべてを含んで神を知ることなので、言葉という小さなものではありません。

わたしの母親は、論理的なところもありますが、どちらかといえば、感覚や感情などを優先するタイプで、一見論理的にはみえません。

ですから、長らくわたしの質問などにも、上手に言葉で説明できず、曖昧な語りをいうので、わたしもただ心で信じているだけなんだろうと、親を責めるたくもないので、聞くことをしなくなったのですが、そういった人であっても、神を知ることは十分できるのです。

 

むしろ、こちらのほうが、実は物凄く論理的で、偉大なのです。

 

わたしたちは、言葉だけで脳に情報をインプットしていくのではありません。味覚や触覚、聴覚や嗅覚など、あらゆる外部を感じ取れる方法で、世界の状況、情報を脳にインプットしていきます。

論理的な人は、上手に語ったり、文字で表現することができますが、実はこれは浅いところを言語で表しているだけで、言語で上手に言い表せない人ほど、実は深いところで、世界や神様とつながっていたりするのです。

 

以前にも書きましたが、孔子は、論理的で、言語を上手に操りましたが、晩年には、言語をあまり操れない弟子を物凄く評価しました。彼は孔子の弟子だったのですが、孔子は、わたしの師匠だというほど、その弟子を高く評価したのです。

 

論理的に考えて行動しないのに、世界と調和して正しい行いを続けるその能力は、論理的に考えて浅くて、短い間だけ通用するものよりも深くて長い奥義が存在しているのです。論理的な人間は、数百年かもしれませんが、そのような人物は、数千年の単位で正しいのです。

 

わたしは、どちらかといえば、論理的なタイプのほうなので、浅いところで物事を明確に表現している場合が多いのですが、一見、論理的ではないという人ほど、かなり偉大なことをしていると実感させられるのです。

 

自然は、日本語で語りかけません。地球も宇宙も、日本語で何かを教えてくれるわけではありません。ですが、その存在そのものが、神を証明するように、その世界とつながって何でもない正しい生活を送っている人をみると、恐怖を覚える時があるのです。

 

一個人が、世界とつながってそれを証明している偉大さに、気づかされるのです。

 

それに比べれば、わたしの考えなどノミよりも小さなもので、薄い皮の部分を表しているだけにすぎないのです。

 

18歳の時にわたしが体験したのは、言葉ではありませんでした。

 

「神を知った」その瞬間、眼の前の建物も、物もすべて消え去り、壮大な大自然が、眼の前に現れました。

巨大な綺麗な雲々が、壮大な大空にあり、世界の果てから凄い勢いで、奥からわたしの上を通って、どこかの中心へと向かっていきました。すべての風がそのどこか中心らしきものに向かっていくその情景は、みたこともない壮大さでした。あまりにも、壮大だったので、その大自然をひとことで「神だ」と思ったのです。

2・3秒だったのか、5秒だったのか、ほんの一瞬の出来事でしたが、全身全霊で、「神を知る」という体験をしました。

 

わたしの母は、学生の時に、大勢の天使が壮大な空にいて、信じられないほど綺麗な歌声をあげていたのを見聞きしたといいます。

 

わたしの場合は、まったく音もなく、草などが揺れたり、雲が動いている様子で風が強く吹いていることは分かっても、風を感じませんでした。視覚だけの状態で、部屋もすべて消えて、外にいる状態になったのです。

 

このような体験をする人は、教会ではとても多いです。こういった体験をしたひとたちは、言葉など必要なく、誰が何を言おうと、神の存在を理解しているので、その信仰は、揺れ動きません。

 

こういった体験をするのは、教会だけではありません。あらゆる宗教で、神を信じている人たちの中でも、こういった体験をして、神を心から信じているひとたちがいます。

 

この体験は、圧倒的なので、言葉では言い表せません。言葉で語れるほど小さなものではないのです。一瞬で、すべてのものがつながる体験をするかのようです。

これを体験している人は、わたしが言っていることを理解できると思いますが、これを体験していない人は、絶対に解りません。何を言おうと分からないのです。

 

この世界は、不思議だと思えることが沢山あります。なぜ人は、赤ちゃんという小さなものから、たった20年ほどで、まったく体積が違う大きなものへと変わるのでしょうか。進化論は、長い時間をかけて徐々に進化していったと誤魔化しますが、たった20年で、人は赤ちゃんから大人になるのです。

 

石炭は、何億年もかけて造られると言われていましたが、たった20分で造れることを今の技術は証明しています。

 

木を圧縮させることで、石炭は短時間で作れてしまうのです。何億年というロジックは、適当な進化論の都合のいい嘘だったのです。

 

 

哺乳類の雌は、子を産むと、その乳房が筋肉から母乳へと一瞬で変わるといいます。急激に女性の胸は、母乳に変わるのです。

 

多くの疑問や謎、秘密は、まず神様を知ることから解明されていきます。世界の大元、世界の意味、人の意味、生きている意味、神様を知る以外では、すべて無になります。何の意味もなくなるのです。

 

歪曲させられた思想で、頭を混乱させられたとしても、この最初の神様を知ることに立ち戻れば、それらのまやかしにも、打ち勝てます。

 

神を知る前に、違うことで討論を繰り広げても、答えなど出ることはありません。犯罪者がいう正義と犯罪者を否定する正義を神のいないところで、討論しても、同じ趣味趣向で言い合っているだけで、好き嫌いを言っているだけなのです。

そんなものに、正しさなど存在しません。

 

神を知るということは、すべてのはじまりであり、出発点なのです。これなしには、すべて無になり、空になるのですね。

 

箴言9章10節

主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。

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