聖書

この世界は、偶然存在していると学校宗教団体に思い込まされていますが、それが大嘘であることは今ははっきりと解っています。

歴史学者など人間を中心にしてみる学者などは、神を信じないということはあっても、人間がどうだろうと、関係のない事実を追求している学者などはこの世界の万物があまりにも精巧に作られすぎていることを知っています。これらを偶然だというほうがあり得ないからです。

人間には、善悪を選ぶことができる愛や正義がない存在なので、当たり前ですが、人間の歴史はどうとでも言えるのです。その人間を中心にしていくら考えても答えなど有るわけがありません。Aさんは、テーブルに置いてあるリンゴとみかん、どちらを取るのかを考えているようなものです。少し考えれば、人間をみても答えなどないことなど誰にでも解るのですが、人間が手出しできないことが正しく組み立てられていることが、愛や正義がある証拠なのです。人間は関係ありません。人間はその愛や正義に従うか、従わないかを判断しているにすぎないのです。聖書の教える愛や正義は、「事実」というものであって、人間はその事実を受け入れるか、それともその事実を無視して破壊し続けるかなのです。

神の愛するとはどういうことなのか>>

本当の愛とは何なのか>>

この世界が精巧に作られている1つの証拠は、生き物は言葉によって設計されていることが解ったことです。聖書はそれを何千年も前から書かれていたのですが、人はそれに気づくことができなかったのです。

1、言葉

よくよく考えると言葉というものは、とても不思議です。なぜ人間は、言葉を使えているのでしょうか。誰にも教わらず、日本語をしゃべっている人などいません。言葉は親や自分よりも前の先人から教わらないとしゃべることができないのです。では、最初に誰が言葉を教えたのでしょうか。

小さい頃から虐待によって放置されていた子などが現在にもいます。ネグレクトといわれたりしますが、生まれてからずっと個室にいれられ、食べ物だけ与えられて、言葉も交わされることなく、そのまま何年も育ってしまうと、その後その環境から解放されても、その子は、言葉を使うことができなくなるのです。小さい頃に、どの国の言葉でもいいので、先人から言葉を教わっていれば、脳の言語中枢が育って、その後、他国語なども利用できるようになるのですが、母国語さえも、8歳までに定着しなければ、言語中枢が固定されてしまって、多くても50単語ほどしか使えなくなるのです。

教えようとしても、脳が固定されてしまっては、難しいということです。これは、小さい頃に絶対音感を獲ていた人と全体音感を知らずにいた人の違いと似ています。脳が定着してしまってから絶対音感を獲ようとしても、難しいのです。

ここで進化論が間違っていることがはっきりするのです。

人間の脳を持っていても、先人が言葉を使わなければ、何年、何千年経っても、言葉は手に入らないのです。進化論という宗教がいっているのは、親が猿だと言っているからです。猿は言葉が使えないので、いくら人間の子が突然変異で生まれても、その子は言葉を習得できないのです。

では、一体なぜ人間は、言葉を使えているのでしょうか。

物凄く謎に包まれているのです。これは鶏が先なのか、卵が先なのかといったような、ものなのです。

そして、聖書や世界中にある宗教の中には、その答えが書かれているのです。

 

それは、神様が人間を造り、言語中枢がはったつしていないアダムに、神様が言葉を与えて、アダムは言葉で、動物たちに名前を付けて、発明までしているところです。

聖書の話は、現実と一致して、とても論理的に説明できてしまっているのです。

 

そして、現代に入って、また驚くべきことがはっきりしたのです。さらに聖書の内容が正しいことが証明されてしまっているのです。それは、生き物が言葉によって設計されていることが解ったからです。

 

みなさんは、2文字あれば、この世界のすべてのことを記録、または言い表すことができることを知っているでしょうか。

パソコンは、人間の言葉を理解できないので、数字の命令によってどのように動くのかがプログラミングされています。それを機械語といわれています。0と1だけで、すべてのことを表すのです。01、10、11、101、といったように、横に2つの文字を並べるだけで、01という意味を機械は読み取り、動いているのです。

モールス信号というものもそうです。2つの音と区切りというものだけで、すべてのことを言い表すことができるのです。

・(ト)ー(ツー)無音の3つです。

 

そして、驚くべきことは、生き物もたった3つの文字だけで精密に作られているのです。遺伝子DNAですね。

DNAは、A・T・C・Gの4つの文字だけで現れます。もちろん、1234でもいいのです。

 

このDNAは、すべての生き物、植物や微生物にも存在し、もちろん、人間にも存在しています。この4つも文字の組み合わせが、あなたという人間の設計図であり、その設計図が、子孫へと受け継がれていくのです。

日本人からは日本人しか生まれないように、長く続いてきたことで、ある程度、遺伝子は固定化され、遺伝子は続いているのです。

人間のDNA配列は、2万2千個あると言われています。この遺伝子を人が読める文字の大きさに並べると、1200億キロになり、地球を300万回まわることができるというほど、ものすごく長い情報がひとりの人間には、使われているのです。あなたの細胞の1つだけに、万巻の書が書かれているようなものなのです。

 

夏目漱石の「吾輩は猫である」が自然が勝手に書いたとわたしが言ったら、あなたは信じるでしょうか。

わたしなら信じません。なぜ偶然、人間が読める文字の配列で、猫になった物語が書かれるんだ?と思うからです。

 

ですが、人間ひとりの情報は、そんなものではないのです。万巻の書が規則正しく精密に描かれているのです。

これを自然が偶然作った?

 

そんなことあるわけがありません。1つの小説が偶然自然が作り出したことも信じられないのに、どうして万巻の書が偶然書かれるのでしょうか。それを偶然だというほうが、奇跡になってしまいます。

 

わたしたちが住んでいる地球に存在している生き物たちは、決して偶然に存在しているのではなく、1つ1つ意味があって、信じられないほど精密に計算されて作られているのです。

それは生物だけではありません。そのDNAも物質によって形成されているわけですが、結局、万物のものは、さらに細かく裂いていくと言葉によって形成され、存在しているのです。鉄は鉄、金は金とそれぞれの設計図が存在し、造られているのです。

 

金は、なぜ固定されて金なのでしょうか。銀はなぜ固定されて銀なのでしょうか。それは、はじめからそのように設計され、存在し、その物質だけを選り集めたからです。

これらは、人間がどう思おうと考えようと、人間の手出しできない事柄です。人間が悪を選ぼうと、善を選ぼうと、これらの事実は変わりませんし、変えたのは人間ではなく、人間よりも以前に全知全能の神といわれる絶対の存在が、信じられないほどの情報量の中からこの世界を創られたのです。

ですから、この世界には、法則があり、わたしも、みなさんも、存在しているのです。

 

「神がいない」と言っているひとは、「自分は存在していない」と言っているようなものなのです。頭がおかしな人なのです。

 

そして、これらのことは、聖書に何千年も前から書かれているのです。

ヨハネによる福音書1章1-10節

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 2この言は初めに神と共にあった。 3すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 4この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 5光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。 6ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。 7この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。 8彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。 9すべての人を照すまことの光があって、世にきた。 10彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。

 

この世界は、言葉という情報で存在し、その言葉が、神様ご自身を表すものなのです。わたしたちを表す体があるように、この世界が神様の体なのですね。

そして、その世界に体を持った神様が最初に存在し、それがイエス様なのです。イエス様は、自分の形にそって、人間アダムをお造りになったのです。

世界である神様、体のある神イエス様、そして、その両方に備わっている霊である聖霊様の3つで1つの神様が、最初に存在したのです。

 

神様は、ご自分の性質と同じように、3つで1つの存在、人間を造られました。それがアダムなのです。アダムは複数形の名前ですが、そのアダムの遺伝子は、すべての人間につながっていくのです。

そのアダムに、さらに言葉をイエス様が与え、アダムは、それをエバや子孫に教えていくのです。

人間が言葉を操れている謎、そして、この世界が、言葉によってはじまっているという驚きは、事実を踏まえれば、誰にも否定できないのです。

 

 

2、人間は忘れてしまう

伝道者の書には、このように書かれています。

伝道者の書1章9-11

先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。 10「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。 11前の者のことは覚えられることがない、また、きたるべき後の者のことも、後に起る者はこれを覚えることがない。

すべてものは、神様が言葉という情報からお造りになり、設計され固定化されているのです。すべてのものは、すでに最初に作られて存在しているのです。人間は、それらを発見することでしかできず、それらを利用して、自分たちが作り出したように錯覚しますが、実際は、すでに存在しているのです。

 

言葉にしても、神様から教わったことは、アダムにすれば、当たり前のことでした。

みなさんもそうではないでしょうか。

 

みなさんが、日本語を話せるのは、親があなたに教えようとして、教えたというよりも生活の中、普段の何でもない生活に使われているから、理解していっただけで、親から日本語を教わったという認識はないはずです。聖書も、神様が人に言葉を教えたとは書かれていません。生活の中で当たり前のようにアダムに教えているのです。

創世記2章8-16節

主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた。 9また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。 10また一つの川がエデンから流れ出て園を潤し、そこから分れて四つの川となった。 11その第一の名はピソンといい、金のあるハビラの全地をめぐるもので、 12その地の金は良く、またそこはブドラクと、しまめのうとを産した。 13第二の川の名はギホンといい、クシの全地をめぐるもの。 14第三の川の名はヒデケルといい、アッスリヤの東を流れるもの。第四の川はユフラテである。 15主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。 16主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。

このように、少し考えれば、親などの先人から教わったと違う認識で把握できるのであって、それを疑問視することもせずに、当たり前だと思ってしまうのです。

 

このことで、人間は忘れてしまうのです。

 

人は、恵まれていることを忘れて、それが当たり前だと思ってしまうのですね。空気があることも、太陽があることも、この地球があることも、実は当たり前ではないのです。言葉を使えていることは当たり前ではないのです。

この世界には、何千何万という生物が存在していますが、言葉を利用できているのは人間だけです。人間以外に言葉を利用できる生き物はいないのが、現実であり、当たり前ではないのです。

空気があることは当たり前ではありません。宇宙のどの惑星をみても、生物が生きていくための環境など存在しないのです。この地球は天国なのです。

 

この地球環境が天国なのは、事実なのですが、それでもそこに住んで当たり前だと思い込むと人間は、それらに感謝することができなくなります。忘れてしまうのです。

アダムは、イエス様から教わったことを子孫たちに教えるのですが、子孫たちは、その場にいたわけでもないので、事実を無視して、生きる者も現れ始めるのです。

 

わたしたち日本人が、本物のユダヤ人であるというと、驚く人が多いように、人間は、忘れてしまうのです。日本の歴史はなぜ2000年以前のものがないのでしょうか。卑弥呼などのことはあっても、それ以前の歴史が消え去ってしまっているのです。ですが、実際は、2000年前から突然日本人が現れるわけもなく、それ以前に、大陸から日本列島にやってきた渡来人が、いまの日本人なのです。

本物のユダヤ人とは日本人>>

 

みなさんは、祖父母がどのように生きてきたのか、詳しく知っているでしょうか。祖父母はどのような仕事をして、生きていたのか、知っているでしょうか。知らないと言う人も多いのではないでしょうか。では、祖父母の父たちの仕事は何だったのか知っているでしょうか。

親族であっても、少し前になると忘れてしまうのです。

日本人がユダヤ人であることに驚き、そんなことありえないと思うかもしれませんが、忘れてしまうのは、決してありえなくないのです。

 

聖書は、ソロモン王までは、一神教の教え、モーセからの教えを大切にするのですが、それからあらゆる王たちがつながっていき、モーセの教えを忘れてしまうのです。そして、聖書を知らないという王様が、聖書を発見して、驚くところが歴代志に書かれているのです。

 

大切なことで、イスラエル人のアイディンティティでもあるような教えであっても、それを忘れてしまうわけです。その後も、聖書の教えを無視した王たちや民の時間が経ち、聖書を忘れてしまうのですが、周辺諸国から攻撃されて、激しい苦難を味わった時、聖書を再度読むと、すでに聖書の中に、自分たちが、このように捕囚の身になることが書かれていたのです。

このことに驚いたイスラエル人たちは、本当の神をまた思い出し、ユダヤ教という強い信仰を持った宗教を固定化しはじめるのです。

 

みなさんは、テレビが日本人が発明したものだったことを知っているでしょうか。あたかも、世界のものを日本に取り入れたように思えるかもしれませんが、テレビは、日本人が発明したのです。

このように、忘れてしまうことは当然のように存在しているのです。

ですが、よく考え、事実の情報を集めれば、日本人がユダヤ人であることは、否定できません。あまりにも聖書的な文化が多くありすぎるからです。聖書の文化がこれほどまでに繁栄されている国は、日本以外には、ありません。

聖書には、「これらは不思議となる」と書かれていますが、まさに不思議だと思われるように、事実を知ると驚かれるわけです。

 

ですが、この世界は物凄く精巧に設計され、存在していることも、事実であり、これらは偶然なわけがありません。ひとは神様が精巧な世界を御造りになったという事実を理解していたのですが、現代人は、事実を無視して信じ込まされているわけです。

ローマ人への手紙1章19-23節

なぜなら、神について知りうる事がらは、彼らには明らかであり、神がそれを彼らに明らかにされたのである。 20神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。 21なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。 22彼らは自ら知者と称しながら、愚かになり、 23不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。

現代人の多くは、現実をみれないように脳が汚染されているのです。偽学問や偽科学を疑うことなく、そのまま信じてしまうからです。そして、むなしい生活を続けてしまいます。自殺をしても自分の勝手だと思い込んだり、自分には意味がないと本気で信じているのです。

事実を踏まえれば、意味もなく存在している人間など、ありえません。まるで化け物のようにぐちゃぐちゃな姿で、自殺をすることも考えられないようで、神様の設計図が破壊されているのなら、そうかもしれませんが、奇形だと言われている人たちでさえも、その設計図は綺麗です。

目に見えて奇形に見えるかもしれませんが、それは設計図の1部だけが傷ついているだけで、その多くは、守れ、意思がある人がほとんどなのです。

 

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