聖書

神様に対して、疑問を持つことがよくあります。

全知全能の神様に対して、疑問を持つことは、よくないことでしょうか。

 

これの答えは、質問をするその人の質によって、悪いことにもなりますし、悪くはないことにもなります。

1、人間は、不完全に造られた

創世記には、人間がどのように造られたのかが書かれています。

その時、神様は、人間を全知全能には、造りませんでした。それだけではなく、かなり人間の能力に制限を与えていると考えられます。

 

なぜなら、アダムは、言葉さえもなく、動物の名前を神様から考えるように言われるまで、考えることもできませんでした。自分たちの体が裸であるということも、気づくことができない存在として、真っ白な状態のまま造られているからです。

 

天使も、人間と同じように、自由意志を持っている存在ですが、その天使よりも、人間は、知識を制限されて作られました。

だからといって、天使が人間よりも上というわけではありません。天使は、不完全な人間のために、助け手として造られた存在です。

解りやすくいえば、パソコンのようなものです。

 

パソコンは、人間よりも遥かに計算に対して能力を発揮することができますが、人間が使わなければ、その意味がなくなってしまいます。

このように、人間以上に能力があったとしても、そのことにとって人間の価値がなくなるわけではないということです。

天使とはどのような存在なのか>>

 

とはいえ、人間は、不完全に造られているので、未来をみることもできません。ですから、間違いを犯しますし、正しい行動を選ぶことも難しいのです。

それは、悪さえも持っているからです。不完全なままでありながら、さらに悪を選ぶこともできるのです。

 

このように、悪さえも持っていて、さらに不完全である人間には、この世の中に対して、疑問が湧き上がるのは、当然のことだと言えます。

むしろ、疑問がないほうが、おかしいとさえ言えます。

 

悪があり、不完全であるのだから、解からないこと、理解できないことが、多々あり、黙示録や聖書の内容に疑問を持つことは、至って自然なことだと言えるというわけです。

 

 

2、悪い疑問と良い疑問

疑問が湧き上がるのは、とても自然なことです。

ですが、その解らないというジレンマの中で、ストレス発散するために、悪意を持って神様に疑問をぶつけるのは、悪いことです。

 

よく、「神様がいるのなら、どうしてこんな世界なんだ?」と発言する人がいます。

わたしからすると、「???」になります。

 

「当たり前でしょ。」と言いたくなります。

すべて納得し、すべての能力とすべての知識と知恵を人間に与えなければ、あなたは、納得しないのですか?と言いたくなるのです。

 

もし、すべての人間、70億人を全知全能の存在にしてみたら、世界はどうなるでしょうか?

それこそ、終わりです。

 

全知全能であり、この世界そのものである神様は、唯一だからこそ、今のような平和が維持できているのです。

 

Aという神が、腕は2本にしよう。と言い。

Bという神は、腕は100本にしよう。と言い出せば、法則そのものが崩壊し、とんでもない世界になるのです。

ですが、実際の世界は、そのような世界ではなく、人間が、安定して存続できるほど、統一されて存在しているのです。

 

これは、誰にも否定できない「事実」です。

 

全知全能の神様は、この世界をみれば、唯一でしかないということです。

 

そして、それ以外は、当然ですが、その神様を基準に考えれば、不完全な存在なのです。

神様は、悪をすることができません。なぜなら、この世界そのものが神様ですから、自分を壊す理由がないからです。自分が自分のまま存続する中で、わざわざ、自分を存続させないようにうする理由がないのです。

 

ですが、天使や人間、その他の存在は、世界の一部でしかありません。神様ではなく、自分を主張するために、悪を行うこともできれば、一部の悪によって、一部を壊す理由もできるのです。

 

神様に従い、世界の一部であることを認めて、自然体で生きていく選択ができれば、人間も苦しむ必要はありません。ですが、自分が、世界の一部ではなく、高み高みへと上にいくことだけをして、他を無視する非合理的な考え方をするから、世界に悲劇が生まれるのです。

 

わたしたちの心臓は、静かに、その役目をまっとうしてくれています。ですが、心臓が、自分勝手に動いたらどうなるでしょうか。世界である体も崩壊するのです。

 

胃も、腸も、肺も、それぞれ別々の性質を持って助け合っているからこそ、平和が保てているのです。

 

なのに、人間としての役目を超えて、動こうとするから、人間社会には、不幸が続いているのです。

 

わたしたちは、たかが人間でしかないこと、この世界は、自分中心に動いてはいないことを「認める」強さが必要なのですが、それでも「事実を無視」して、非現実的な思想で生きようとするからこそ、不平不満が生まれるのですね。

 

誰かの上になる必要はありません。上も下もないからです。組織には、リーダーが必要ですが、それは組織を成り立たせるために必要なのであって、上になることが目的ではありません。ですから、役目はあっても、上も下もないのです。

 

ですが、人は、生まれてきた環境や思想によって、脳が汚染されている人もいて、そういうひとたちは、人と競い合っているのです。

当たり前ですが、そのような汚染された脳のプログラミングで生きていれば、ストレスも貯まり、聖書や神様に対しても、悪意を持って、疑問を投げつけようとする人がいるわけです。

 

このような疑問は、悪い疑問です。

 

競うとか、競わないなどということではなく、解からないからこそ、疑問が出てくる、そういったものは、良い疑問です。

神様に信頼して、その疑問が解けるように、祈り、考え、人生を体験していきます。希望を持って、疑問を出すのです。

  • 神さはどのような存在なのだろう?
  • この世界は、なぜ造られたのだろう?
  • 天使ってどのようなものなのだろう?

などといった、多種多様な純粋な疑問は、悪いものではなく、道を開くものになります。

 

 

3、神様を知らない人は、悪意を持つ

解っている人にとっては、当たり前のことですが、神様の存在を知らなければ、この世界に答えは見出せません。

統一された事実を無視してでも、この世界は「偶然」存在していると心から信じているからです。

 

そういう人にとっては、心からその思想が、埋め込まれているので、追及すればするほど、闇へと向かいます。

 

善意や善行などは、無意味であり、表面的なものでしかないという「諦めの答え」にしかなりません。

 

にも拘らず、善行をしているのは、矛盾だらけです。

 

神を信じている人には、答えは光でしか、存在せず、人間に惑わされない事実を認めます。

 

心の中が、闇である人間が存在するものに基準を置いて、考えようとしても、答えはでません。

 

神を知らないひとは、必ず、「自己中心的思想」で生きています。

 

その人が、善行をしようと、していないと、関係なく、不安定な思想で生きているのです。

 

例えるなら、川の水です。

河の水の流れは、さまざまで、予測がつきません。ある場所では、流れに逆らっていることさえあります。このよう、水だけをみて、惑わされていれば、本質がみえなくなり、それが正義だと心から信じてしまうのです。

 

ですが、空高くから川全体を見渡せば、水は、上流から下流へとパターンを持って、流れていることに気づくのです。

水だけをみれば、川なんてない!と苦しみますが、全体をみれば、川は実際に存在し、パターンにそって、存在しているのです。

 

人間社会もまさにそれです。人間個人個人をみれば、バラバラで、パターンなど存在せず、善悪さえもないかのようにみえますが、人間そのもの、全体をみれば、あきらかに、人間は同じ形をもって、存在し、パターンをもって生きているのです。

 

それらの自然の法則にさからって生きていける人間はいないことに気づくのです。

 

ですから、個人ではなく、他を認め、違うからこそ助け合い、共生しあって、お互いに成長しながら、生きていかなければいけないことに気づくのです。

 

善悪が現実に存在していることは、間違いありません。ですから、善悪両方の見方をみる必要があります。

それは、悪のためではありません。善のためです。

 

ですが、神がいない人には、浅いところに正義があるだけに、見えなくなっているのですね。

見えない状態で、ストレスがあるからといって、神様に悪意のある疑問を投げつけて、生きていきながら、自分で自分を傷つけて生きることになります。

どれだけ、水個人が、上流に流れようと頑張っても、無駄なのに、その汚染された思想のために、不可能を続けるだけではなく、世界や他人をも傷つけていくのです。

 

個人の私利私欲に走る人は、確かに、その結果は出たようにみえます。ですが、それは目先の利益であって、長い目でみれば、損益になっているのです。

20年・30年は騙せるかもしれませんが、そこから生み出された結果は、子孫にツケを与えるだけです。

 

何百・何千年というスパンで、物事を考えるのであれば、目先の利益は、取るに足らないものに変わるのです。

ひとりで、幸せになどなれません。まわりのひとたちも幸せにならなければ、自分だけで幸せだと思っていても、いつか現実に戻されるだけです。

そして、そのようなシステムで作り上げられているのが、この世界です。

 

神様が造られた世界ですね。

 

それぞれは不完全ではあっても、全体で、カバーしあうことで、平和を維持していけるように、世界は造られているのです。

水も川も、山も空気も、人間も動物も、植物も、すべてそうです。

 

その一部であるだけの「わたし」という個人に固執して、いつまでも、ご都合主義で生きていくのであれば、当然ながら、その結果が出るのです。

本質が悪であったら、善悪をどれだけ理解し、実行しても、無意味になります。

本質が善であったら、善悪をどれだけしようとも、そこには、光が生まれるのです。

 

人間的な善悪などは、表面的なことでしかないからです。

人間的に、悪だと思われる出来事は、人間の歴史では、腐るほど存在していますが、それらは、未来からみたわたしたちがみれば、必要だったことが理解できるのです。

 

イエス様は、明らかに、悲惨は人生を送り、悲劇を味わいましたが、だからこそ、救世主となられたのです。

 

多くの善人が、苦しんだ事実があっても、それらがあったからこそ、未来は光になるのです。

 

ですから、聖書には、「喜びなさい。」と教えています。

 

目をつぶって、深い闇の底をどこまでも、落ちていく空想を人間の脳は、作り出せるように、その人の本質が悪意であれば、どこまでも、世界を闇だとみることが出来てしまうのです。それが明らかに、非現実的であっても、そう見えてしまうのですね。

 

このように、人間は、どこまでも、世界を呪うこともできれば、人間を嫌うこともでてしまう恐ろしい存在でもなるのです。

 

そのような人たちの思想から生み出された、疑問には、気を付けましょう。

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